2007年08月29日

Let's Go陰陽師(’S)。2 『陰の章』。


 あ、どうも。Yシャツの胸ポケットの裏がすり切れて、貫通したものです。(実話)

 気に入ったケータイホルダーを捜して東奔西走幾星霜。今だ見つからないってんで、ケータイいつも胸ポケットに入れてんですけど、どーもそれと俺のマッスルボディの摩擦に耐えかねて、穴が空いたらしい。しかしまさか、ポケット縫いつけてる糸んとこじゃなくて、裏布に穴が空こうとはなー。前から見たら、何も起きてないようにしか見えないのよ!

 面白いので「ほうら胸ポケットに入れたケータイが、シャツの中から出てくるよ〜。It'sマジーック! イリュージョーン!!」ってやってたら、「お前が消えろ」と言われました。世知辛い世の中ですね。

 消えると言えば、今日せっかくの月食だったのに、曇ってなんも見えませんでしたね。こんな条件いいのってそんなにないらしいのに、なんてこったい! まったくイケズな奴だぜ月は! 「月は無慈悲な夜の女王」ってこのことだね!――って違いますかそうですか。



昨日の続き。


 なんでこんな事になったんだろう?

 俺は呆然と考えた。服と荷物はずぶぬれになり、くるぶしは血で染まっていた。ぬかるみに足が取られる。荷物が肩に食い込む。目に、雨が入る。重い。息が出来ない。足がガクガクと痙攣した。道はまだまだ続く。終わりは見えない。足下でなにかが跳ねた。

 ああ、ああ。俺は酸素を求めてあえぎながら、狂ったように足を振り回した。


 ――奴らが来る。




 川を渡ろう。そう、言いだしたのは誰だったか、今となっては思い出せない。数年前の台風で橋が落ち、道は荒れてはいるものの、対岸には滝見台へと続く道があるという。雑誌には、それほど険しい道ではない、と書かれていた。せっかくここまで来たんだ。一目拝んで帰ろうじゃないか。ともかく、そういう結論になったのだ。

 そしてそれが、僕たちをあの恐るべき惨劇へと導くことになるのだが、神ならぬ身。その時の我々には、そんなこと知るよしもなかったのだ。

 靴を脱ぎ、俺たちは川に足を踏み入れた。ざぷりと踏み込んだ澄み切った水に、赤いものが混じる。血だ。さっき、蛭に噛まれた傷口から、血が止まらないのだ。蛭は噛みつくに当たって、血液の凝固を阻止し、麻酔効果のある物質を注入するという。その効果は数時間続き、その主がいなくなってもなお、愚直にその役目を果たし続けていた。靴下はもう、鮮血に染まっていた。


「うお! いてててて!!!」
「うひゃー! あぶねー!!」


 歓声を上げながら、太股までの深さのある川を、俺たちはなんとか渡りきった。ふう、と息をつき、対岸から見えない場所に、荷物を隠す。その時、青い空に遠雷が響いた。


 ゴロゴロゴロ・・・。


 山の端を、黒い雲が浸し始めた。山の天気は変わりやすい。俺たちは道を急いだ。河川敷沿いに作られた遊歩道はあるいは崩れ、あるいは手すりが腐りで惨憺たる有様だった。おかしい。読んだ本では、ここまでの荒れ模様ではなかったが・・・。

 歩を進める。遊歩道は、もうすでに道の体をなしていなかった。仕方ない。河川敷を歩こう。誰かがそう言い、俺たちは道なき道へと歩を進めた。

 黒雲はもう、空の半分を覆っていた。自然に足が速まる。苔むした岩を昇り、割れ目を飛び越え、そして。

「見えた!」

 そう叫ぶ声がした。遠くから、ドドドドと、下っ腹に響く重低音が聞こえる。遠目に、見事な滝が見えた。

「もっと、近くに寄れる場所があるはずなんだけど・・・」

 そう問うた俺に、M先輩が頭上を指さした。途中でもげた、階段。見てくる。そう言って身軽に駆け上ったM先輩は、ややあって大きく手を振った。ダメだ。崩れてる。ここで、戻ろう。


 こらえかねたように、大きな水滴が落ちてきたのは、その時だった。


 程なく、雨は本降りになった。雲は厚く、いつやむかは見当もつかない。俺たちは歩を早めた。苔で、靴が滑る。行きはなんとか登れた岩も、下りとなるや恐怖だった。渇いていた時はガッシリと受け止めてくれた足場も、一転ふんばりのきかない危険な場所へと変わっていた。

 前を歩いていた誰かが、ビクッと体を震わす。人影。こんな山奥に? メシを食っていた2時間、人っ子一人通らなかったこんなところに?

 20代後半くらいの、男女だった。そぼ降る雨の中に、カッパを着て、たたずんでいた。こんにちは、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで呟きながら、急ぎ足で俺たちはその横を通り過ぎた。目は合わさなかった。・・・合わせられなかった。

 道を急ぐ。泥が跳ねる。ぬかるみに、身体が揺れる。もう少し、後少し。崩れていた道。ここを下れば、もうすぐだ。M先輩が、先導として先に降りた。大丈夫。この先の道はどうかな。見てくる。そんな言葉を残し、その姿が消えた瞬間。Bさんが、あ、と声を漏らした。続いて降りようと伸ばした足。その足下から。


 岩が、落ちた。


 一抱えもある、大きな岩だった。雨に濡れた地盤が、俺たちの重みに耐えかねたのだろう。岩は相当な勢いを持って、地面にぶち当たった。そこは、さっきまで、M先輩がこっちを見上げていた場所だった。そこで俺たちが降りるのを待っていたなら、きっと直撃していたことだろう。

 ぶるっと、寒気が走った。それは、身体中を濡らした、雨のせいばかりではなかった。


 足下を選び、慎重に下る。一歩一歩、確かめるように。地盤は思ったより緩かった。なんとか無事降りきり、隠していた荷物をひっつかむ。荷物もぐっしょりと、雨に濡れていた。中からタオルを取りだし、首に巻く。すえた、イヤな匂いがした。


 雨はまだ続いていた。早く渡ろう、とM先輩が言った。このまま雨が続けば、水量が増える。水の勢いが少し増しただけでも、人間なんて簡単に攫われてしまうんだ。だから。

 俺は荷物を担ぎ、靴下だけを脱いだ。ハダシで川を渡る大変さは、行きで身に沁みていた。この雨の中、荷物を持ってハダシで渡る自信はない。服同様、ずぶぬれになった靴下をしぼった。ドボドボと、びっくりするほど多量の赤黒い液体が、握り拳からこぼれて落ちた。

 おそるおそる、川へと足を踏み出す。心なしか水量が増しているかに見えた。うああ、と後ろで声が聞こえる。Bさんが石に足を取られ、転びそうになっていた。慌てて駆けよる。靴のおかげで、だいぶ楽に歩ける。ぐじゅぐじゅと、感触は気持ち悪いけれど。

 だいじょうぶ、とBさんは言った。バランス崩れるから、逆にそっとしといてくれないかな?

 手を引いた向こうで、M先輩の後を追って、友人Mが岸へたどり着くのが見えた。続いて、俺が。そして、Bさんが。雨はまだ止まない。

 もう少し上流の浅瀬を渡って、さっきのカップルがこっちにくるのが見えた。くそ。と友人Mが言った。また、蛭が食いついていた。ちょうど通りすがったカップルが「蛭ですか?」と言って、自分の足を見た。良かった。幽霊じゃなかったらしい。

 ええ。友人Mはそう言うと、蛭をタオルではじき飛ばし、岩に叩きつけた。靴底で思いっきり蹴りつける。ぷちゃ、と音を立てて蛭が潰れ、岩に真っ赤な花が咲いた。

 息を乱しながらも俺たちは荷物を抱え直し、立ち上がった。来る時に下った、300m近い山道。急峻で、しかも来た時よりも地面はぬかるんでいる。

 ぜいぜい、と息を切らして俺は登る。ランタンにホワイトガソリン。ガイドブック。調理道具。ゴミ。諸々を詰め込んだ10kgを越えるスポーツバッグが、俺の肩に食い込んだ。なんて重さだ。俺は悪態を付いた。くそ、これを放り捨てていいなら、万札だって払うぜ!

 身体中がギシギシと鳴った。ぐっしょりと濡れたTシャツが、肌にまとわりついて離れない。息はぜえぜえから、ひゅーひゅーといったかすれ声に変わった。目に、汗と水滴が入る。じくじくと鈍痛が響き、たまらず俺は右目を閉じた。足がガクガクする。太股が吊る。素足に履いた靴が、ぐじゅぐじゅとイヤな音を立てた。中敷きが、生ぬるくなった水でぬるぬると滑る。その度に少し伸ばした足の人差し指の爪が靴の先端に引っかかり、俺は爪が剥がれる恐怖に襲われた。

 それは多分、時間にすれば20分足らずの行程に過ぎなかったろう。だが俺には、永劫にも思える時間だった。


 ようやく山道を登り終え、車が見えた時、俺は大きな安堵のため息を漏らした。良かった。なんとか戻って来れた。急いで、車へと駆けよる。濡れた体を拭くのもそこそこに、荷物をトランクへと放り込み、どっかりと後部座席へと身を投げ出した。息が荒い。体は熱いが、どこか芯の方が冷え切っていた。太股が、足が痙攣する。肩には、痣が出来ていた。ぜぇ。ぜぇ。ぜぇ。空気を。空気を。空気を。

 その時、前の座席から悲鳴が聞こえた。

「うわっ!? 足に蛭が!!」

 そうか。と俺は思った。雨の最中、山道を歩いてきたんだ。そりゃ蛭の格好の餌食だろう。行きの、晴れた、しかも靴下はいた足にまで奴らは食いついてきたんだから。

 そこで、俺はふとあることに気づいた。あれ? 俺、川渡った後、靴下履かなかったんじゃなかったっけ?

 ぞわり、と背中を寒気が走り抜けた。まさか。まさか、な。

 カーキの、カーゴパンツ。その左半分は血にまみれ、赤黒く染まっていた。ちろ、と俺はそれをずりあげた。人差し指の第一関節くらいの、赤黒いものが見えた気がした。

 まさか。まさかだよな。自分を勇気づけるかのように、俺は自分に向かってそう呟くと、一気にスソをまくり上げ、そして息を呑んだ。


 そ ・ こ ・ に ・ は 。














(続く)


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