2007年09月28日
血戦! 柳生地獄旅!!後編
この前の続き。
「兵法の梶をとりても世の海を 渡りかねたる石の舟かな」
天石立神社は山の中腹にあり、けっこう歩かねばならんとこにあった。杉林が延々と続き、坂道もそれなりに急だ。20分ほど昇った頃だったろうか。さっと開けた茶畑の向こうに、木製の鳥居が見えた。うっそうと茂る木々に抱かれた神社は、延喜式神名帳にも記載された、平安時代より知られる古社にふさわしく、荘厳な雰囲気でたたずんでいた。
古代よりの巨石信仰の聖地であり、ご祭神である扉の形をした巨石は、天照大神が天岩戸に隠れたさい、手力雄命によってこじ開けられた扉が、力余って飛来したものだと伝えられている。昔の人がそう思ったのも頷けるような、それは見事な一枚岩だった。それ以外にも苔むした巨石がゴロゴロしており、辺りを睥睨するその巨石の重厚感と存在感が、周囲の雰囲気をより荘厳な物にしていた。
ご神体を拝み、再び歩くこと数分、ポカリと開けた広場の真ん中に、一刀石はあった。修行中のある夜、天狗と出会った柳生新陰流流祖石舟斎宗巌が試合をし、一刀のもとに切り捨てたところ、天狗は消え、まっぷたつに断ち割られたこの石が残っていたという伝説の残る石である。燃える。

「でけーっ!」
第一声がそれだったほど、一刀石はでっけえ石だった。資料によれば長さ8m、幅7m、高さ2m。もっとコンパクトなものを想像していたんだがさすがは剣聖。スケールが違うぜ。
しかも切れ目が本当にキレイ。剣で切ったとしか思えないほどスッパリと割れてる。しばしその偉容に打たれていると、M先輩が横で奇声をあげた。
「ぬおーッ! 剣持ってきたら良かったー!!」
「・・・は?」
「ほら山海堂で買ってきた剣よ! くそう、あの剣はこういう時のために買ったもんじゃねえか!」
「こ、こういう時のためだったんですか。知りませんでした」
「ああ、こんな機会なんて滅多にないのに! もったいねえー!!」
まあ、気持ちは分からんでもない。この風景の中で「いかにも俺が断ち割りました!」的な写真を撮りたい気持ちも良く分かる。そんなん持ち歩いてたら通報されそうだが。
まあ、ない物は仕方ないので、両手を広げて「次元斬!」とか、逆に「岩もろとも、一刀のもとに切り捨てられてみました」的な写真を撮って満足してみる。その後、岩の上まで登れる道があることに気づき、「バルパンサーのポーズで写真を撮る」という高いとこに登った人の9割がやる(断言)お約束にチャレンジしてみたのだが、ポーズをサックリ忘れていた。あーるからもう20年。年は取りたくないものね。
満足し、次に向かったのは芳徳寺。柳生宗矩が、父石舟斎を弔うべく建立した、柳生の菩提寺である。
途中崖崩れした山道を抜け、また10数分ほど歩くと芳徳寺が見えた。紅葉に包まれた見事なお寺であった。
ふと見ると、その左手に建物が見える。「正木坂剣禅道場」。かつて柳生十兵衛三厳が1万人を越える門弟達に稽古をつけたという場所に建てられた道場である。

うおー、見てえなあ。でも入りづらいなあ。
そう思ってちろちろ見ていると、芳徳寺から出てきたお年寄りの団体が、そっちに入っていくじゃないですか!
やった! 道場の人がいても、さすがにご年配の人を無碍にはしまい。ならば、ついて行けば問題なく俺たちも見物出来る。これぞまさに柳生の兵法!
喜び勇んでその後に続き、敷地内に入ってはみたが、残念ながら稽古とかはされておらず、扉もガッチリ閉まって中ものぞけない。仕方ないので一人で「頼もう! 道場破りだ! 将軍家剣術指南役、柳生の腕を見せてもらおう! どうした? 出てこんのか? 天下の柳生も堕ちたものよのうぐひゃひゃひゃひゃ!」と連載第一回のやられキャラみたいな奇声をあげて、勝ち誇りながら道場を出ることだけで満足しておいた。見つからなくって本当に良かったと思う次第である。
・・・柳生の人、ここ見ねえだろうな? 刺客送られそうな気がしてきた。ジョークですよジョーク。軽いアメリカン・ジョーク! HAHAHAHAHA!!! ・・・ごめんなさい。土下座。
それはともかく。
場所は変わって芳徳寺。釈迦如来座像、宗矩、沢庵和尚の木像が並び、廊下には柳生藩の資料を飾る。これもなかなか見応えがあって面白い。
隣の建物が改築中だったのが景観を損ね、残念だったが、それでもやはり風情のある良い寺であった。そして、裏手にある柳生一族の墓所へと向かう。寺の脇を抜け、裏道をしばし。壊れかかった壁の向こうに、大小数十基の墓が並んでいた。
「これが宗巌、あれが宗矩。これは・・・十兵衛三厳ですか。ほうほうほう」
喜んで見て回るM先輩の後方で、俺はささやかに祈った。
「十兵衛さん今ですよー。魔界転生するなら今! で、サックリ! どうぞ! サックリ!」
・・・あいにく俺の叫びは届かなかった。ひょっとしたら十兵衛さんは留守だったのかもしれん。無念。
墓所を離れた我々は、ちょっと急な坂を下り、モミジ橋を渡って街へ。「柳生」のいわれとなった柳の木を拝み、十兵衛食堂で十兵衛うどんを食べたあと、十兵衛が武者修行に出る前に植えたと伝えられる十兵衛杉(お墓の上にあり、落雷で今は枯れ木となっている)を見物。まさに十兵衛尽くしのフルコース。なぜか真っ黒に焼けこげ「渡るな」的な看板の書かれた木製の橋をやっぱり渡ってみて、柳生の里を離れた。

その後は180年の歴史を誇るという峠茶屋でお茶を飲み、ハイカー達の「こんなとこ車で通んのかよ! ウゼエ! ウセロ!」的な視線を浴びつつ峠を突破。あとで調べてみると石仏だけでなく滝などもあり、かなり面白そうな道だったようで、ちょっと残念。機会があれば今度は車でなく、歩きでぜび訪れてみたい。
締めはいつもの如くお風呂である。奈良市内のスーパー銭湯「さらさの湯」でほっこりし、頭が痛いというM先輩の言葉もあって、休憩に小一時間ほど一眠り。俺の呪いがきいたのかもしれん。クックック。途中ライトアップされていた五重塔を見るなどした後、近鉄奈良駅で解散。列車に乗り、帰宅したのは20時頃。この辺もネタがなきにしもあらずだが、いい加減書くの飽きてきたので割愛する。(オイ)
大満足の旅行であった。
しかし、先日の忍者村巡りといい今回といい、時代劇シリーズも当たりが多いなあ。
次は二条陣屋or“忍者寺”として知られる金沢の妙立寺などの「忍者シリーズ・ネクスト」や、岐阜県中津川市の「星ヶ見公園」を訪ねる「巨石巡りシリーズ」なんかいいなあ、と思う次第である。参加者随時募集中。明日の歴史を作るのはキミだ! どっちかってーと人生の黒歴史になったりしますがその辺は気にせぬ方向でッ!!
勇者の応募を待つ!
「兵法の梶をとりても世の海を 渡りかねたる石の舟かな」
天石立神社は山の中腹にあり、けっこう歩かねばならんとこにあった。杉林が延々と続き、坂道もそれなりに急だ。20分ほど昇った頃だったろうか。さっと開けた茶畑の向こうに、木製の鳥居が見えた。うっそうと茂る木々に抱かれた神社は、延喜式神名帳にも記載された、平安時代より知られる古社にふさわしく、荘厳な雰囲気でたたずんでいた。
古代よりの巨石信仰の聖地であり、ご祭神である扉の形をした巨石は、天照大神が天岩戸に隠れたさい、手力雄命によってこじ開けられた扉が、力余って飛来したものだと伝えられている。昔の人がそう思ったのも頷けるような、それは見事な一枚岩だった。それ以外にも苔むした巨石がゴロゴロしており、辺りを睥睨するその巨石の重厚感と存在感が、周囲の雰囲気をより荘厳な物にしていた。
ご神体を拝み、再び歩くこと数分、ポカリと開けた広場の真ん中に、一刀石はあった。修行中のある夜、天狗と出会った柳生新陰流流祖石舟斎宗巌が試合をし、一刀のもとに切り捨てたところ、天狗は消え、まっぷたつに断ち割られたこの石が残っていたという伝説の残る石である。燃える。

「でけーっ!」
第一声がそれだったほど、一刀石はでっけえ石だった。資料によれば長さ8m、幅7m、高さ2m。もっとコンパクトなものを想像していたんだがさすがは剣聖。スケールが違うぜ。
しかも切れ目が本当にキレイ。剣で切ったとしか思えないほどスッパリと割れてる。しばしその偉容に打たれていると、M先輩が横で奇声をあげた。
「ぬおーッ! 剣持ってきたら良かったー!!」
「・・・は?」
「ほら山海堂で買ってきた剣よ! くそう、あの剣はこういう時のために買ったもんじゃねえか!」
「こ、こういう時のためだったんですか。知りませんでした」
「ああ、こんな機会なんて滅多にないのに! もったいねえー!!」
まあ、気持ちは分からんでもない。この風景の中で「いかにも俺が断ち割りました!」的な写真を撮りたい気持ちも良く分かる。そんなん持ち歩いてたら通報されそうだが。
まあ、ない物は仕方ないので、両手を広げて「次元斬!」とか、逆に「岩もろとも、一刀のもとに切り捨てられてみました」的な写真を撮って満足してみる。その後、岩の上まで登れる道があることに気づき、「バルパンサーのポーズで写真を撮る」という高いとこに登った人の9割がやる(断言)お約束にチャレンジしてみたのだが、ポーズをサックリ忘れていた。あーるからもう20年。年は取りたくないものね。
満足し、次に向かったのは芳徳寺。柳生宗矩が、父石舟斎を弔うべく建立した、柳生の菩提寺である。
途中崖崩れした山道を抜け、また10数分ほど歩くと芳徳寺が見えた。紅葉に包まれた見事なお寺であった。
ふと見ると、その左手に建物が見える。「正木坂剣禅道場」。かつて柳生十兵衛三厳が1万人を越える門弟達に稽古をつけたという場所に建てられた道場である。

うおー、見てえなあ。でも入りづらいなあ。
そう思ってちろちろ見ていると、芳徳寺から出てきたお年寄りの団体が、そっちに入っていくじゃないですか!
やった! 道場の人がいても、さすがにご年配の人を無碍にはしまい。ならば、ついて行けば問題なく俺たちも見物出来る。これぞまさに柳生の兵法!
喜び勇んでその後に続き、敷地内に入ってはみたが、残念ながら稽古とかはされておらず、扉もガッチリ閉まって中ものぞけない。仕方ないので一人で「頼もう! 道場破りだ! 将軍家剣術指南役、柳生の腕を見せてもらおう! どうした? 出てこんのか? 天下の柳生も堕ちたものよのうぐひゃひゃひゃひゃ!」と連載第一回のやられキャラみたいな奇声をあげて、勝ち誇りながら道場を出ることだけで満足しておいた。見つからなくって本当に良かったと思う次第である。
・・・柳生の人、ここ見ねえだろうな? 刺客送られそうな気がしてきた。ジョークですよジョーク。軽いアメリカン・ジョーク! HAHAHAHAHA!!! ・・・ごめんなさい。土下座。
それはともかく。
場所は変わって芳徳寺。釈迦如来座像、宗矩、沢庵和尚の木像が並び、廊下には柳生藩の資料を飾る。これもなかなか見応えがあって面白い。
隣の建物が改築中だったのが景観を損ね、残念だったが、それでもやはり風情のある良い寺であった。そして、裏手にある柳生一族の墓所へと向かう。寺の脇を抜け、裏道をしばし。壊れかかった壁の向こうに、大小数十基の墓が並んでいた。
「これが宗巌、あれが宗矩。これは・・・十兵衛三厳ですか。ほうほうほう」
喜んで見て回るM先輩の後方で、俺はささやかに祈った。
「十兵衛さん今ですよー。魔界転生するなら今! で、サックリ! どうぞ! サックリ!」
・・・あいにく俺の叫びは届かなかった。ひょっとしたら十兵衛さんは留守だったのかもしれん。無念。
墓所を離れた我々は、ちょっと急な坂を下り、モミジ橋を渡って街へ。「柳生」のいわれとなった柳の木を拝み、十兵衛食堂で十兵衛うどんを食べたあと、十兵衛が武者修行に出る前に植えたと伝えられる十兵衛杉(お墓の上にあり、落雷で今は枯れ木となっている)を見物。まさに十兵衛尽くしのフルコース。なぜか真っ黒に焼けこげ「渡るな」的な看板の書かれた木製の橋をやっぱり渡ってみて、柳生の里を離れた。

その後は180年の歴史を誇るという峠茶屋でお茶を飲み、ハイカー達の「こんなとこ車で通んのかよ! ウゼエ! ウセロ!」的な視線を浴びつつ峠を突破。あとで調べてみると石仏だけでなく滝などもあり、かなり面白そうな道だったようで、ちょっと残念。機会があれば今度は車でなく、歩きでぜび訪れてみたい。
締めはいつもの如くお風呂である。奈良市内のスーパー銭湯「さらさの湯」でほっこりし、頭が痛いというM先輩の言葉もあって、休憩に小一時間ほど一眠り。俺の呪いがきいたのかもしれん。クックック。途中ライトアップされていた五重塔を見るなどした後、近鉄奈良駅で解散。列車に乗り、帰宅したのは20時頃。この辺もネタがなきにしもあらずだが、いい加減書くの飽きてきたので割愛する。(オイ)
大満足の旅行であった。
しかし、先日の忍者村巡りといい今回といい、時代劇シリーズも当たりが多いなあ。
次は二条陣屋or“忍者寺”として知られる金沢の妙立寺などの「忍者シリーズ・ネクスト」や、岐阜県中津川市の「星ヶ見公園」を訪ねる「巨石巡りシリーズ」なんかいいなあ、と思う次第である。参加者随時募集中。明日の歴史を作るのはキミだ! どっちかってーと人生の黒歴史になったりしますがその辺は気にせぬ方向でッ!!
勇者の応募を待つ!
2007年09月22日
そうそう。
友人から「おめえの日記が上がってねえと、トイレに行った時ヒマなんだよ!」という理不尽なお叱りを受けたので(実話)、昔の日記でも上げておこう。
明日読んでください(笑)
決戦! 柳生地獄旅!!(前編)

写真中央は柳生石舟斎が一刀のもとに断ち割ったという伝説の残る「一刀石」と、その上で、バルパンサーのポーズを取ろうとして足を滑らし、割れ目にハマったMADさん。(32)
今だ夜も明けやらぬ暁暗の時であったという。
「ぐ・・・ふぅ」
男が一人、目を覚ました。のそり、と布団より身をはい出すさまは、冬眠より覚めた熊の態であった。幾重にも仕掛けられた目覚ましを止めて廻り、重い息を吐き出す。深奥の闇よりなお昏き部屋の中で、ただその息だけが白く翳った。
「行くか」
しゃらりと夜衣を脱ぎ捨て、動きやすい、こざっぱりとした旅装束を身にまとう。身の丈は五尺五寸ばかりであろうか。炯々と輝くその瞳は、闇にあってもまるで困らぬかに見えた。魁偉であった。
かの幕府の大目付、将軍指南役として兵法天下一を謳われる柳生のお膝元、柳生の里に隠密で出かけようと言うのに、気負ったところなぞなにもない。晴れた日に気が向いて、ひょいと散策の足を伸ばした――。そうだとでもいうかのような、拍子抜けるほどの軽装であった。そりゃそうであった。
男は時衛有の朝一番の車に乗り、一刻半ほどの時間をかけ、播磨国神戸へと向かった。同行の先達、M氏と合流しにきたのである。
待ち合わせは7時。出かける前には電子書状を送って到着時刻を知らせる。そういう約束であった。男は忘れずに、車に乗る前にちゃんと電子書状を送っていた。もう、先達は痺れを切らして待っている頃であろうか。周縁の車止めを見る。らしき姿は見えない。小首をかしげ、男は今再び、電子書状を先達へと送った。
『予定通り到着したでござる』
『あ、そう。今から出るから5分待ってー』
約 束 の 意 味 ね え 。
しかも到着して
「ほな出発しよかー」(どりゅどりゅどりゅ!)
「ロケットスタート!?――ってうわ! 今赤信号ブッチしたでゴザルよね!?」
「なに!? 気づいてたんなら言えよ!」
「気づいてたらもう突破したあとだったでゴザルんじゃー!!」
「気にすんなはっはっは」
「おーたーすーけー!!!!!」
そんな素敵な運転をぶちかまされながら、一路目指すは奈良である。湾岸線から阪神高速に抜け、第二阪奈道路宝来ランプまでは1時間弱。あとは30分ほど下道を進めば、そこはもう柳生である。
「思ったより近いもんだな」
「ですね。もうちょっとかかるかと思ってましたけど」
そんなのんきな会話をかましつつ、車は山道を抜けた。思わず息を呑み、我々は歓声を上げた。そこには見事な紅葉が広がっていた。
「いいとこですねー!」
「まったくまったく」
ちょっと迷いながらも駐車場に車を止める。500円。店番のおいちゃんが親切で、観光用の地図をくれたうえ、懇切丁寧にルートを教えてくれる。よーし準備もできた。さっそく回るぜヒィアウィゴー!
「上の方とか紅葉スゴイですねえ」
「燃えてるみたいやな」
「違いますよ! アレはきっと柳生に倒された血しぶきの赤・・・」
「なんと!?」
「さっきのおじちゃんも優しかったですがだまされてはなりません。ここは柳生の本拠地ですよ! きっと虎視眈々と我々は監視されてるに違いありません!」
「どやねん!」
「そうです、全ては陰謀なのです。関係ないですけどなんでも“柳生”って付けると凄そうに聞こえますよね。柳生郵便局」
「うお! なんか密書とか運んでそう!」
「柳生銀行」
「おお! 徳川の秘密資金とか護ってそう!」
「柳生珍念」
「うわ! 珍念さんが一気に“馬鹿の振りしてるがその実は・・・!”みたいなキャラに!?」
「これにさらに“裏”とか付けるとスゴイですよ。裏柳生小学校」
「あー! 絶対幕府の秘密暗殺要員とか育成してるー!!!!」
うん。殺されても絶対文句言えない。
最初に寄ったのは旧柳生藩家老屋敷。その昔、柳生藩の財政を立て直した名家老小山田主鈴の旧邸で、一時は『徳川家康』で有名な小説家山岡荘八が所有したという由緒正しい建物である。柳生宗矩の生涯を描き、NHKの大河ドラマとなった『春の坂道』も、ここで想を練られたのだという。
入場料は350円。それほど広くなく、さっと見て回れるコンパクトな邸宅であるが、味があって良い良い良い。入ってすぐ左手にある土間に柳生宗矩の直弟子一覧があったが、佐賀鍋島の殿様や蜂須賀の殿様などけっこう大名級もいて面白かった。
ゆっくり見て回り、俺は思った。
寒い。こんな家に住みたくねえ。
次に向かったのは旧柳生藩陣屋跡。かつて陣屋が構えられ、その後小学校として使用。今では公園として町民の憩いの場となっている。
「この散策路がまたイイですね」
「なごむねえ」
「お、なんか中学の横んとこに小高い丘になってるとこがありますよ」
「ほほう、昇ってみよう、よっと」
「うーん、いい風景ですねえ」
「なんでこんなとこ道続いてんのかね」
「そりゃきっとアレですよ。淡い思いを抱きあった中学生の少年少女がクラブの帰り、ここで腰を下ろして夢や希望を語り合ったり!」
「うおー、甘ずっぺー! お前最高だ!」
「小太りの盗撮マニアが望遠レンズでブルマー隠し撮りしたり!」
「前言撤回。お前最低だ」
ワイワイやりながら公園へと向かう階段を上った。まあ、公園は公園ですけど広々としていて、とてもいい感じだった。
「どこ行くの?」と聞いてきた、出口間際にいた掃除のおいちゃんにまた道を教えて貰い、ほうそう地蔵を拝んで、いよいよ目指すは目的の、「一刀石」のある天石立神社(あまのいしだてじんじゃ)である!
(続く)