2008年01月03日
完結してない昔の旅行記シリーズ。「百鬼夜行」前編
その日ワシは、神戸は三ノ宮で行われた劇団の公演を見た後、東行先生と『竹海(ズーハイ)』という中華居酒屋で宴を開いておった。
『竹海』は本当に小さな中華居酒屋なんじゃが、神戸らしく本物の中国系の人がやっている店で、本格的な割に値段も安く、そしてすこぶる旨いときている。
また夜中遅くまでやっているという貴重な店でもあり、東行先生と神戸で芝居を見た後は、いつもここに行って久闊を除すと共に、談論風発、先に見た芝居の感想を語り合うのが習いとなっておった。
なお、東行先生というのはワシの学友で、かつては魔都倫敦の闇を支配したというかの犯罪紳士に比すべき異才として、その名をもじった御名で呼ばれていた御仁である。何があったのかある時その名を替え、不動産などを商うカタギとなった。その心変わりの理由を当人は語りはしないし、こちらもあえて問おうとはしない。ただかの御仁のこと、きっと幼女がらみでなにかやらかしたに違いないと、知人の間ではもっぱらの噂である。ところで、彼を「師匠!」と呼ぶと「だからおまえはアホなのだ!」と攻められるのだが、ワシはパンピーなので良く分からん。ただ、反論をするとなんとなく手ぬぐいでまっぷたつにされそうな気がするので、そういうものかと思って耐えておる。
「やはり、キャラメルは最高であるな」
「左様左様」
定石通りお気に入りの劇団のその日の演目の感想より入り、近況に最近読んだ本の感想、天下国家の行方に卓上役割演技遊戯への渇望など、話は絶品の麻婆豆腐や中華蒸しパン、春巻に、漢字ばかりで名前も思い出せない謎料理などを食い散らかしながら進んでいった。ある電視番組が話の俎上に載ったのは、その時じゃった。
「『新撰組!』面白いのう」
「まこと、まこと!」
東行先生が手を打った。ワシとは同門で、時と場所は違えども同じ東洋の歴史を学んだ学友じゃが、東行先生は近代日本史にも造詣が深く、中でも新撰組には深い関心を持たれている。その興味の深さ、濃さは、友人間で一時男色家疑惑が持ち上がったくらいである。(現在保留中)
「芹沢鴨がいい味出してて――」
そうワシが言った時、『竹海』の扉が豪音を立てて開いた。
「話は聞かせて貰ったぜ!」
「み、みやはらの大哥(兄貴)ーーーーーーッッ!?」
そこに完爾と笑って立ち現れたのは、大恩ある我が学兄にしてこの倭の国の地下社会に名を轟かせる『虎穴党』の小頭目、“黒旋風”みやはらの大哥であった。
「(椅子にドッカリ座って)お前ら、『イケメン新撰組』を知ってるか?」
「い、イケメン新撰組ーッ!?」
「な、なんなんですかいアニキそれは!?」
「知らぬか。さもありなん。『仮面ライダー555』に出てた役者をアテた、京都は太秦映画村オリジナルの新撰組ものよ」
そう言ってみやはらの大哥はニヤリと笑った。
「見たいか? 見たいだろう? 見せてやろう。来月19日土曜。京都に集合だ」
その笑顔にワシは戦慄した。始まった、と思った。
“黒旋風”。その名の由来を指して「忍びの者に比すほど身が軽い」、というのは表向きに過ぎない。裏の、真の由来はイベントとトラブルを愛するその性癖と、「旋風の如く他人を巻き込み、動乱の中に放り込む」ことにある。平穏平和な人生を願うワシには、まったく理解しがたい性癖である。
「わ、ワシゃあ別に――の、のう東行先生?」
「・・・」
「と、東行先生?」
「・・・イケメン新撰組、か」
「と、東行先生。なんでおんし目をキラキラさせとるんじゃ? なんで頬を紅くさせているんじゃ? ま、まさかおんし、あの噂は――」
「ば、バカなことを言うな! 悪いがみやはらさん、我々は・・・」
「コスプレも、出来るぞ」
ポツリ、と絶妙のタイミングでみやはらの大哥が言った。東行先生の目がギラリ、と光った。
「・・・今、なんと?」
「聞こえなんだか? コスプレも出来るぞ、と言うた」
「コスプレ、ですと?」
いかん、とワシは思うた。ゆっくりと、風が流れ始めるのが見えた。みやはらの大哥の仕掛けが始まっていた。
「そうだ。コスプレだ。侍、剣豪、なんでもござれ。お望みとあらば花魁も町娘もお望み通りだ」
そしてひた、と東行先生を見据えて大哥は言った。
「もちろん、新撰組も、だ」
「新撰組・・・この私が新撰組に・・・」
ゆらり、と東行先生の身体が揺れた。茫、と視線が踊り、熱を帯びた口調でそう呟く。いかん、とワシは思うた。風は急激に勢いを増し、渦を巻いて東行先生を絡め取り始めていた。
「し、しかしアレじゃろ? どうせ土産物屋で売ってるような羽織着て鉢巻き巻くとかそんなもんじゃろ?」
「ところが、だ」
その口調に、ワシは戦慄した。はめられた、と悟った。大哥が待っていたのはまさにその言葉じゃった。
「衣装も本物、カツラも本物。プロがメイクし、着付けてくれる。刀だって差せるぜ? コミケなんて目じゃねえ。ありゃあもうコスプレなんてもんじゃねえ。立派な正装――いやさ、変身さな」
「――行きましょう。いやぜひ連れて行って下さい!」
ごう、と音を立て、竹海の店舗が旋風に揺れた。かつて「倫敦の闇を蜘蛛のように支配する」と謳われた老碩学にちなんだ名で呼ばれた程の男が、その巣ごと旋風に呑まれた。
大哥は応、と返事を返すと、呆然とするワシの方を振り向いた。
「もちろん、お前も行くよな?」
「・・・是」
それ以外の選択など、あるはずもなかった。
「ようし!」
“黒旋風”みやはらの大哥は楽しそうに笑いながら、杯を手に取った。
「乾杯だ。我ら三人生まれた時は違えどもコスプレする時は同じ! うはははは!」
もう、こうなりゃヤケだ。
半泣きになりながら次々と杯を干すワシの隣で、東行先生がブツブツと「新撰組・・・。俺が新撰組・・・」と半笑いで呟いていた。
終電は、とっくに過ぎていた。(エエーっ!? ワシ明日会社ーッッ!?
(続く)