2008年01月06日

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第六撃


 「コンビニ」いいなあ!

 ひさびさに超ヒット! 最後の怒濤のサビがいいんスよ!

♪どうして貴方は穴以外似ているの? ♪100円玉と50円玉〜


 うっはー。もうメロメロ。(*≧∇≦)ノシ

 そんな俺様の初夢は15禁でした。内容は言えんな。



ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第六撃


 10月14日の続き。



 九州の朝は早い。

 法事が入ってるとゆー生臭坊主Sと別れた我々は、勇躍レンタカーに乗って旅立った。なお、朝俺様が起きてみると、皆がすでにひとっ風呂浴びたあとであったのは言うまでもない。みんなどんだけ風呂好きなんだ。

 あと、メシ食ったあと宿のオーナーさんが懇切丁寧に観光名所について解説してくれたり、送迎車のお兄ちゃんがレンタカー屋まで案内してくれたりと、お湯でポカポカと温まった体だけでなく、心までも暖めてくれたりもした。サンクス!


 さて。

 我々がまず向かったのは、由布院中心街。金鱗湖を核とする、観光メインストリートである。あちこち迷いながらも駐車場に車を停め、我々は散策を開始した!


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「おお、これが“由布院御三家”の一つ玉の湯か!」
「ふうむ。街中にあるというのに、落ち着いた雰囲気だな。こう、宿の中に入ったら世界が変わる感じだ。入りてえが、入れん」
(な!? あの傍若無人なM先輩が怯んでいる!? 結界に怯える妖魔とはこんな感じなのか!?)
「・・・今なんか失礼なこと考えてなかったか?」
「いえいえとんでもめっそーもない!」


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


「金鱗湖、向かいにけったいな建物たっとるなー」
「雰囲気壊しまくりのレストランですな。景観条例ナニソレ?って時期に建てられたんですかね? ――って、おお! 下ん湯! 入りてー!!」
「時間ないしダメ」
「ああああ! せっかく誰も入ってないのに! 時間も早くて周りに人も少ないのに! イヤンバカンー! 神よ私は美しいー!」





※「下ん湯」は由布院に数軒ある公共浴場の一つ。茅葺き屋根の湯小屋で、昔ながらの姿を今によく残した風情のある浴場なのだが、湖との間に間仕切り一切無し。外から丸見えなうえ、金鱗湖という超メジャー観光地のほとりにあるせいで、観光客がひっきりなしにのぞいていくことで有名。


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「風情のある通りですな」
「さすが観光地! 通りもキレイに整備されてて、雰囲気抜群だな!」
「・・・人が一杯でまっすぐ歩けないですけどね・・・」
「うはは。お、ゲゲゲの鬼太郎商店が」
「ええ!? なんでこんなとこに!? つか、ついこの間、ツレが境港行ったっつーて、土産にもらったばっかりですよ!」
「ううむ、けっこう欲しい」





「・・・そうか、猫娘の汁はりんごハチミツ味か・・・」
「MADくん、どしたの?」
「イエイエなんでも! 発言に深い意味もないですよ! 決して! あははははは!!!」
「・・・?」



 そんな感じで一帯を探索し、満足した我々は再び車上の人となった。向かったはもう一つの温泉の聖地、別府である! 多種多様の温泉を有し、温泉ワンダーランドと呼び声も高い温泉郷別府は、なにを隠そう尻隠そう、由布院と山一つを隔てた向こうにあるのである!

「しかし、俺が学生時代に来て入った風呂はどこだったんだろなー。知らんか?」
「あなた以外の誰もわかり得ませんよM先輩!」
「発掘のバイトの途中でな、こー、坂を下った途中にあったんだよ。あ、牛」
「おおお! ほんとだ牛だスゲー!!」←大興奮
「そーいや、島根行った時、M、前の車あおって恐がらせてたな」
「なにを言うN! あの距離のどこがアオリだ! ちょっと狭かったかも知らんがあれは普通の車間距離だ!」
「だいぶ狭かったですよ! 俺、よー“暴れソアラ”つーて責められてましたが、どー考えてもM先輩の方が“暴れ”の名にふさわ――」
「しかし俺の行った温泉どこだったんだろなー。知らんか?」
「知らねえっつか人の話を聞けー!!」


 そんな感じで騒ぎつつ山を越えると、そこは別府だった。


「うお、なんだこれ!?」
「雰囲気、変わりますねー」


 いかにも「観光地」という風情に満ちた由布院と好対照に、一転、別府は発展しまくった地方の中核都市だった。遠くに湯煙があがっているのが見えたものの、大きなビルが林立し、「温泉街」というイメージからはほど遠い。こりゃ、宿を由布院に取ったのは、正解だったかもしれん。この調子だと、温泉も心配だな。

 そんなことを思いつつ、目当ての温泉へと向かったのですが、いやはや。


 我 輩 が 間 違 っ て お り ま し た 。(土下座)


 いや、すんげえ!

 まず向かったは、別府温泉郷の看板とも言うべき共同温泉「竹瓦温泉」。老舗の高級旅館を思わせる唐破風造の年代物の建物と、名物砂風呂で知られる名湯なのですが、初っぱなから、これが素晴らしい!





 昭和初期からタイムスリップしてきたかのようなたたずまい! 飴色に輝く磨き上げられた床! くすんだタイル! うっひょたまんね!

 そして、1000円の砂湯入湯券を買って、浴衣のような服に着替え、中に入っても一つ驚愕ですよ。古い大きな湯屋の中に、床一面に敷き詰められた砂、砂、砂!

  そこに寝転がり、“砂かけさん”と呼ばれる奥様方に、じゅわっとお湯を含んだ砂をかけて貰うわけです。シャベルで。気分はほとんど埋葬☆

「スゴい量の砂だなあ。砂とか、入れ替えるんですか?」
「全部入れ替えるよ。トラックで運んできてねー」
「この量を!?」

 ちなみに、どのタイミングで入れ替えるかも聞いたが、これ書くまでに、あまりに間が空きすぎて忘れた。定休日だっけな?

「うっほ、思ったより熱い!」
「けっこう重いなー!」
「ですね先輩Kさん!」
「顔かゆくなったら言ってね。あと写真撮りたいなら撮ってあげるよ」
「砂に埋まってから言わないでください砂かけさんー!? どうあがいても取りに行けませんー!」

 高い高い天井を見上げながら、蒸し焼き状態。汗が目に入りそうになってうっひょ!?とかなりつつも、まさしく手も足も出ない状態。10分は、思ったより長かった。

「うお、砂まみれ!」
「あつつ。汗ひかねー」
「お肌もつやつやですよ! スゲー!」


 大満足し、次に向かったは別府温泉保養ランド


 日本に数ある「地獄」温泉の中で、唯一実際に入ることができるという地獄温泉である。その湯、その規模、その希少性から、温泉マニアの中では聖地のように崇められる温泉であるという。さあどんな衝撃を喰らわせてくれるんだ!? もうwktkが止まりませんようっひょー!!

 と、喜び勇んで向かった別府温泉保養ランドは。


「・・・寂れてんなあ」
「・・・寂れてますねえ」

 なんだか、申し訳ないくらいに、場末の観光ホテルであった。

 巨大な駐車場に、ポツリ、ポツリと止まる車。壊れた看板。錆びた鉄柱。にぎわった観光客をあてこんで作ったとおぼしき販売所は、すでに放置されて久しいようだった。

 ホテル自体も、お世辞にもキレイとは言い難い。照明は薄暗く、施設自体が経年劣化で汚れてらっしゃる。経営大丈夫なんでしょうかこのホテル?

 いらぬ心配をしていると、

「いらっしゃい! お風呂はそこの通路を降りて下よ!」

 と、親切な受付の奥様が、とてもフレンドリーかつハイテンションに湯の場所を教えてくださった。なんだか、この人だけ世界が違うんだが。

 渡り廊下を渡り、やはり薄暗い待合室にはいる。服を脱ぎ、大浴場へと入り。

「おお!」

 我々はちょっと安心した。コロイド状の泥湯に満たされた風呂は、なかなかもっていい湯であった。ここで体を洗い、さあ、行きましょう露天風呂! 狭暗い階段を下り、出た先は。

「おおお!」

 竹で組んだ湯屋! 立っても肩まで浸かれる深さの泥湯。うむ、風情あるぜ! まあ、値段相応の価値はあったかな。でも珍しいのは確かだけど“聖地”は言い過ぎだよなあ。あ、まだ奥あるんだ。どれどれ。

 と、失礼なことを考えつつ、さらに奥に移動した俺たちは。


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」


 超ド肝を抜かれた。


 白一色に染まった広大な鉱泉! 足下はぬるりとした鉱泥で、油断すると、ずるっとすべってコケる。

「ひやあ、なんじゃこりゃ!」
「見たことねえよこんな温泉!」
「広さだけならスーパー銭湯でもあるけど、なんじゃこのシチュエーションとお湯は! スゲエ、ありえねえ!」


 俺 た ち 大 興 奮 。


 こりゃスゴイ。こりゃ楽しい! “聖地”と呼ばれるのも納得です! ひや、楽しー!!

 いや、来た甲斐がありました。温泉好きなら、一度は入ってみるべきお湯かと。ただ混浴なうえ、かなり大きな風呂とあって、オーバーフローも少なめ。そのため、毛や虫の死骸なども浮いてるので、その辺が駄目な人には向きません。

 泥湯のせいで浸かってる部分は見えないけど、ブラブラソーセージ状態の男が、視界にはいるとこで歩き回ってるしな!

 ここ、風呂を完全に男女で分けて、こじゃれた感じに改装するだけで、客の入り、倍増どころじゃすまないだろうけどなあ。それをしないのを「商売ベタ」と見るか、「昔ながらの正直な商売」と見るかは人それぞれだろう。

 よく覚えてないが、行った時には「湯治プラン」とかで、朝晩のご飯付一泊5000円ちょいってプランが貼ってあったのを見たような。格安ビジネスホテル並みですなあ。

 頑張って頂きたい温泉です。はい。



 以上、このあたりでタイムリミット。途中で名物団子汁を食い、地獄巡りなどに後ろ髪を引かれつつも、そのまま空港へ。土産物を買いあさり、帰路に就きました。いやあ、楽しかった!





「やっぱり、九州の温泉はレベルが違うな!」
「ですね、M先輩! 北海道が温泉天国なら、こっちは温泉王国ですよ!」
「家のそばの某温泉が88点で俺の中の基準だったが、これは見直さねばならんな」
「はあ。じゃあ、何点に?」
「68点」
「落ちすぎだー!? どんな基準だよオイ!?」

 しかし、そんな気持ちもちょっと分かるほどに、九州の温泉のレベルは飛び抜けていたのである。北海道は野湯がメインの、ゆったり自然満喫の湯であったが、九州は多種多様な湯質と入り方とで楽しめる、そんな温泉ワンダーランドでありました。

 今度は南の方廻りたいなあ。黒川とか、高千穂とか。


 行けば行くほど、また行きたいところが増える。それもまた、旅行の醍醐味。


 一 緒 に 行 く 人 間 は 、 減 る ば か り だ が 。


 「R大学YGC」OB・すちゃらか旅行団は、新規参入者の到来を心より歓迎いたします。今年も多分、GW前後に開催の予定です。さあ、君もLet’s参加! とってもステキなダメ旅行が君を待つぞ! なお、今年の行き先はまだ未定です。行き先案も同時募集中っ! オゥイエー!!


(完)  


2007年10月14日

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第五撃


 9月16日の続き。

「山荘無量塔(さんそうむらた)」

 由布院にある高級旅館。「無量塔」の「無量」は「はかりしれない」という意の仏教用語であり、「塔」は「建物」を意味するのだという。

 部屋は全て貸切の離れであり、3,800坪の敷地にたった12室が点在する。各地より探し出した古民家を1年がかりで移築し、モダンにアレンジ。インテリアには骨董や美術品に造詣の深い社長によって選ばれた、カッシーナや李朝家具、バカラのアンティークやルオーの絵画、掛け軸などの“本物”の名品がそれぞれの空間に合わせて、さりげなく置かれている。創建は1992年と歴史こそ浅いものの、その見事なコーディネートと「折り目正しく、出過ぎぬこと。客室は、広く、清潔で、居心地よいこと」をモットーとする極上のサービスとで、あっという間に老舗の「由布院玉の湯」「亀の井別荘」と並ぶ、由布院を、ひいては日本を代表する名旅館の座を獲得。『由布院御三家』の一つと数えられるようになった。

 そんな名旅館を前に我々は。


「うお!? なんだこのプレッシャーは!?」
「敷居たけぇぇぇぇ!!!!」
「ほ、ホンマに入ってエエんけ!? ま、MADお前入って聞いてこいちょっと!」
「お、俺ッスかー!?」


 超ビビっていた。


 なんて言うかですね! ぶっちゃけ世界が違うんですよ! ド平民が間違ってベルサイユ宮殿に紛れ込んだみたいなもんですよ! まあ、ベルサイユ宮殿、平民が観光に入ってきても良かったらしいけど。王妃が出産してるとこ、平民やお付きに公開で見せてた国だしなあ、フランス。

 それはともかく。あふれる高級感。ただよう上質感。俺は思った。場違いだ。

 しかし、ここまで来てのうのうと帰るわけにはいかない。でなければ、なんのために我々はここまで来たのか! 車で5分の道のりを、道に迷って30分かけてまで来たのだ。ここで帰るわけにいかん!

 俺は「事務棟」と書かれた建物の扉を敢然と開けた。そこは、オレンジと黒の国だった。日本の旧家を改造した土間のような空間が広がり、黒光りする木で組まれた受付が待つ。

 俺は意を決すると、受付にいるお姉さんに近寄り、声をかけた! ちなみに、そのときの俺の腰は、3kmは引けていたと後世の歴史家は伝えている。

「すすすすスイマセン!」
「はい」

 ニッコリ。笑んだその顔の、なんと上品な事よ。俺とねんごろになれい!じゃないや、あのあの、Tan's Barはどこでしょうか!?

「そちらをまっすぐに行って頂いて、扉を開いたところになります」
「ありがとうございます!」

 ちなみに、この時バッテリー切れだった俺のケータイの充電をお願いすると、快諾して下さいました。ありがとうございます。おかげさまで助かりました。ついでに俺のハートも充電満タンになっちゃったんですがどうもなりませんかそうですか。

 さあ、Tan's Barの場所も知れた! これで勝ったも同然だ! ちなみに何に勝つかはサッパリだが、とりあえずさあ行きましょう! Let's Barですよ先輩諸氏!!!


 そしてようやくたどり着いたTan's Barであったのですが。


 ス ゲ エ い い 。


 オレンジ色にほの光る照明。素人目にも上質と知れる調度品。ぱりっとした服を着た、気の利くバーテンダーとウェイター達。そして、巨大なスピーカーから流れるジャズの音色。


 まさしくこれこそが「大人の時間」だ。


 昔、友人二人となんの気なしに入った京都のスペイン居酒屋で、思いがけずJazzの生ライブに行きあったことがある。旨いメシを食い、ボーっと耳を傾けていると、いつのまにか目を閉じて聞き入っていた。ふと目を開けると同行の二人も同じ体勢。口元には、知らず笑みが浮かんでいた。あの時俺は、初めて「大人の時間」というものの存在を、「贅沢な時間」というものの存在を知った。

 ここで流れているのも同じ時間だった。決して大声ではなく、さやさやと交わされる会話。カラン、と音を立てるグラス。包み込むように鳴る柔らかな音色。そして、口元に浮かぶ微笑。

 そこでは、時間の流れが違った。世界を変える夜の魔法があった。俺たちはとりとめもない話をし、訳もなく笑った。子供の頃見た、ハリウッドの大人向け映画。クラーク・ゲーブルやハンフリー・ボガード、マルチェロ・マストロヤンニが銀幕の向こうで過ごしていたような時間。子供の頃には過ごせなかった、このメンバーと、今だからこそ過ごせた時間だった。こんな時間が過ごせるのだから、大人になるのも悪くない。


 1時間半ほどをここで過ごして、俺たちはバーを出た。M先輩が言った。

「バーといい、雰囲気といい、素晴らしい宿やな。一度泊まってみたいな」
「やな。今泊まってる宿にちょっと足したら泊まれるんやろ? やったら、年に一度やったら、こういうとこに泊まるのもいいなあ」

 M先輩の言葉に同意し、そう続けたN先輩に、俺はニッコリ笑って言った。


「一泊5万からですが?」


 4人の絶叫と怒号が夜を切り裂いた。



 その後、俺は宿内のセレクトショップへと足を向けた。ここに限定のチョコが売っていると、ガイドブックで読んだのである。お土産に買おう。そう思って足を運んだのである。


 そして、俺はここで再び、山荘無量塔の凄さを知るのである。


 そのセレクトショップには、一人の男性が店番として立っておられた。時間は本来の閉店時間である10時の10分前。閉店作業を行う時間帯である。

 俺とともにそこを訪れた友人Sが、部屋に備えられているのと同じ物とおぼしき、作務衣風の夜衣やらなんやらを物色し、買う間、彼の人はにこやかに応対し、そんなことはおくびにも出さなかった。まあ、そんなことはちょっと小マシな接客業なら、基本の基本だ。

 俺が感心したのは、その時の接客トークだ。親しみに溢れながら、決してなれなれしくない。俺も同じ接客業だから分かるが、接客で一番難しいのは、この「お客に“特別感”を抱かせる接客をすること」だ。

 通り一遍の接客トークから、一歩踏み込んだプライベートの話を引き出しつつ、相手に圧迫感や不快感を抱かせない。むしろ胸襟を開いて「仲良くなった」心地よさを抱かせて帰す。このさじ加減は非常に微妙で、しかも人によって変わる。

 この店番の方の、その辺の呼吸を読む感覚と、距離感は絶妙だった。

 快活で、清潔で、打てば響くように気持ちよく返事が返ってくる。関西から来たと言えば、自分も神戸出身だと答え、会話のリズムが心地いいとさらりと褒める。泊まりたいけど予約が取れないと聞くと、ご迷惑をおかけして、と謝って、これ以上だとお客様に満足なサービスが出来ませんで、と受ける。センスが良く素晴らしい宿だと褒めると、礼を言った上で、玉の湯さんや亀の井別荘さんと比べると歴史が浅いもので、必死でやっておりますと謙遜するが、決してその笑顔は卑屈ではなく、驕りではなく誇りが透けて見える。

 久々に、同じ接客業として感動しました。俺も頑張らなきゃなあ。本当に、一度ここに泊まって、食事や他の従業員さんのサービスも味わってみたいものである。


 ところで。



 お土産に買った山荘無量塔特製お茶チョコ。掌にすっぽり収まるコンパクトサイズで5枚入。


 1 , 5 0 0 円 。


 写真の5箱だけで7,500円ですよハッハッハ。


 ・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。(プシッ)←耳血吹いた


 マジですかー!? つか、1枚300円!? サイズから言やあ、一口150円くらいの換算ですよ!? 日本はいつの間にそんなハイパーインフレに!?


 会社では、1枚ずつ配りました。こんなん一箱ずつ配ってられるか破産するわボケー!!!

 貧乏って哀しいね。でもいつか俺もこんな宿に泊まれる身分に!! 俺はコブシをグッと握り、ショウウィンドウのトランペットを眺める黒人少年の瞳で山荘無量塔を見た。その目尻に、一筋光るものが流れていたと後世の歴史家は伝えている。

(続く)  


2007年09月16日

「ナイン・ステイツ・ストライクス!!!」第四撃

「すすすスゴイよMADくふゥ〜ん!!」

 その時。K先輩の声は完全に裏返っていた。

「予想以上だよ! これはスゴイよ! うわは部屋風呂もすンごほほほーいひぃ!!!」
「あ、あの、K先輩、お褒め頂けるのは嬉しいんですが、宿の方まだ居はるんで・・・。笑ってはるんで・・・」

 そんな一幕があったほど、たどり着いた今宵の宿「庄屋の館」は立派なお宿であった。さすが2万円後半のお宿!

 「庄屋の館」は由布院にある、全室離れの湯宿である。最近流行りのデザイナーズ系モダン建築ではなく、ごくごく普通の一戸建てなところが残念なところだが、この家が2階建てでデカいんだ! 厨房冷蔵庫付。トイレは1階と2階にそれぞれ一つずつ。一家5人で普通に暮らせます。掃除も行き届いてたし。

 しかし、俺がここを選んだ理由はそれだけではない。ホームページの紹介を見て、手作りの一生懸命さが伝わってきたことや、立地なども確かに大きかった。しかし、それは理由の半分。残る半分はといいますと――

「うわああああっ!? 本当に湯が蒼いー!?」



 そう、ここは全国でも珍しい、「蒼いお湯」を有する温泉宿なのだ! しかも、部屋風呂だけではない! 天然掛け流しの大露天風呂「百人風呂」もまた、そうなのである!!!

「これは・・・凄いなあ。色だけやないな。このぬめりもすごい」
「うっすらとした白さもあいまって、空に浮かんでるみたいだな」
「暑さも超いいし。気持ちよすぎるー!」


 皆 様 大 絶 賛 。


 やった! やったよ! うちの先輩方は名にし負う温泉好き。中でもM先輩は住んでるトコの近所に素晴らしい泉質の温泉があるため、温泉に対する評点がだいぶ辛いのだ。そのM先輩も大絶賛! 俺はやったよ!!

 今回の旅行の、最大の難関は攻略された。俺は安堵の吐息を漏らし、湯へと沈んでいった。 その後俺を見た者はいない。


 なお、全部で20棟ある離れには、全てこの蒼いお湯の部屋風呂がある。しかもこの部屋風呂が、5人くらい充分入れて、よそならこれだけで充分営業が出来るぜ!というほどの大きさを誇るのだ。この部屋風呂だけでも、相当満足感があるぞ。

 そのせいか、一般客が来なくなる夕方以降は、100人が入れる大露天風呂が、ほぼ我々の貸切状態であった。おかげで皆様4回くらい入りに行ってやんの。しかも、一度行くと1時間以上帰って来んし。そこまで気に入って下さると、幹事冥利に尽きると言うものであるが、たまには内湯にも入ってやって下さい。


 いい気分になったところで、時間ははや6時過ぎ。浴衣に着替えてメシを食いに出る。今回は風呂を最優先したため、料理はあまり重視してない。そこそこ旨いのが出てきたらいいなあ、と思って食いに行ったのだが・・・。ゴメン。


 我 輩 由 布 院 舐 め て た 。



 ウマッ!? そして量、めっちゃ多い!? 久々ですわ、旅館の料理で「もう食えねえ!?」ってなったの! その大食から「ブラックホール」と謳われた生臭坊主Sでさえ大満足ですよ! しかも宿のオーナーがわざわざ挨拶に来て、地酒まで差し入れて下さるホスピタリティ。あとで、大露天風呂に浸かりつつ、M先輩がしみじみ言ったもんだね。

「・・・高いとこには、それだけの価値があるね」


 同感です。


 お腹も気分も満たされた我々は、次の計画を実行することにした。そう、「カッコいいバーでカッコ良くお酒を飲んで、おおっと俺たち大人じゃね!? ギムレットには早すぎね!?」計画、略してカバ計画。ひっくり返すとバカ計画である。

 発案はN先輩。いいかげんいい年の我々なのだから、たまにはそういう落ち着いた一夜もいいんじゃねえ?という提案であった。なるほど。確かに、今まで色々行ったが、そーゆーのは無かった。まあ、俺自身が一切酒呑めないので、最初から眼中に入ってなかったせいもあるが。

 よござんす。とびっきりの場所におつれしやしょう! あらかじめリサーチし、俺のお眼鏡にかなったそのお店。それは、「由布院御三家」の一角にして、日本最高峰の旅館の一つとして知られる超高級旅館「山荘無量塔(さんそうむらた)」併設のバー「Tan's Bar」であった。

 ようし、お店も決まった。男5人、平均年齢35歳の一同は、色めき立って車に乗った。さあ行かん魅惑のバーへ! 待っていろ大人の時間!! いざ、出陣だ! 夜はまだこれからだぜ!


 そして30分後! 通常5分で着く道を、キッチリ迷っている我々が居た!!!


(続く)  


2007年09月13日

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第三撃


「つまり、加藤清正が倒した虎が狙っていたのが小熊であり、その故事のもとに作られたのがテディ・ベアなんだよ!」
「そうだったんですか!」
「ついでに、この熊はその恩を忘れず、長じて人間の子供を育てるわけだ。それが金太郎であり、二人の出会いを歌ったのが『森のくまさん』なんだよ!」
「勉強になります!」
「ウソつけー!?」

 という会話があったり無かったりしながら、我々は城中へと足を踏み入れた。ゴメン。無かった。



 熊本城は西南戦争の折天守閣を焼失しており、現在そこは再建された鉄筋コンクリート作りの博物館となっている。ただし宇土櫓など風向きの影響で焼失を免れた建造物も多く、観光地としては充分な見所を有しているとは言えよう。それが証拠に城は観光客で埋め尽くされ、地方色豊かな話し声が飛び交っていた。

「夏は暑いけんなー」
「水ば飲みたか〜」


・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。


 萌えー!!!!!!!!!

 なんで方言の女の子ってあんなに可愛いのか! なんつーか、イントネーションがたまらんのよ! メガントかわいいギガントかわいい。特に「けん」って言う時のかすかに上がるイントネーションと、鼻から抜けるような吐息の感覚が辛抱たまりません! もうこれだけでご飯3杯は行ける勢いですよ! おかわりっ!

 ・・・熊本城が俺の城になった暁には、ここに大奥を作ろう。ひそかにそう誓う俺だった。(なりません)

 ホント、かわいい。そりゃあもう盗み聞きにも力が入ろうってなもんでっ!←軽犯罪法違反

ほうら聞こえてくるよ♪


「£¥※♀*∞」


…。
……。
………。


 ハ ン グ ル だ っ た 。


 いやまあそれはそれで悪くないんですが、いいんですか韓国の方ー!?


 清 正 朝 鮮 出 兵 の 英 雄 な の に 。


 虎退治の展示はありませんでした。ドキドキ


 さて。

 熊本城を離れ、熊本ラーメンを食した我々は、ここで後輩Hと同回のMと別れ、一路由布院を目指した。余談だが、このラーメン屋に行く途中に後輩Hのコペン運転させて貰ったんだが、すげー! めっちゃ楽しい! いいぞコレ!

 とにかく、レスポンスがクイック! 身体の一部みたいにクイクイ動いてくれるというか・・・。運転してるだけでニヤニヤしてくる。いや、この車でやまなみ街道を走りたかったよ! 無念!!



 そう、そのやまなみ街道。それは、阿蘇のふもとをぐるりと巡る、絶景で知られるドライブコースであり、今回の俺の旅の目的の一つでもあった。

 高原全体に緑の絨毯のように敷き詰められた牧草と、屹立する石灰岩。放牧された牛馬がのんびりと草を食むその後方には、果てない山麓が薄紗のごとき薄もやをまとってたたずむ。

 その感動を、後にMADさん(34歳)はこう語っている。


「寝てたら過ぎてました」


 4時頃、我々は宿に着いた。


(続く)  


2007年09月11日

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第二撃


5月27日(日)AM7:00。


 俺は、足跡を忍ばせて階段を上っていた。生臭坊主Sを起こすためである。しかし、と俺は、階段を上り終えて嘆息をついた。合板ではない、ムクの木をつかった床。高い天井。大きな壁。大きなソファ。そして、しつらえられた巨大なバー。


 落 ち て る オ タ ク グ ッ ズ で 台 無 し 。


 道具は、使う人間によって神にも悪魔にもなりうる。猫に小判。いや。俺は巨大なイビキを立てながら惰眠をむさぼる部屋主の、丸い顔を見ながら思った。豚に真珠か。(ひでえ)


 ――顔に、濡れタオルをかぶせるとかどうだろう?


 しばし、奴を起こす手段を思案していた俺だが、結局手で揺すって起こすことにした。バスタオルがなかったのである。メイドの格好をしてベッドに入り、「おはようございます、ご主人様☆」と言って起こす、ということも考えたが、奴の一生にトラウマを残すだけでなく、俺の人生にも巨大な禍根を残す気がしたのであきらめた。メイド服もなかったし。

 なお、Sの家の朝ご飯は大変豪華で美味しかった。朝っぱらから、風に吹かれて豆腐屋ジョニーが食えようとは! ブルジョアだ! ブルジョアジーだ!! トサカに来たぜ!(ジョニー違い)

 あのような親切で温厚篤実なお母さんから、Sのようなパタリロが産まれる。遺伝の限界というものに思いを馳せつつ、我々は一路熊本城を目指し、旅立つのであった。



 熊本城。

 英語で言うとキャッスル・オブ・ベア・ブック。断じて赤カブトが造った城ではない。日本三名城、日本100名城の一つであり、別名を銀杏城、カラス城という。築城は加藤清正。つまり清正は熊だったんだよ! なんだってー!?(AAry

 かつて南九州に本拠を構え、ヤマト王権に抵抗した勢力にクマソと呼ばれる一族がいた。日本書紀には熊襲と表記され、古事記には熊曾と表記される勇猛無類、独立不羈の“火の民”である。

 当時小碓命と名乗ったヤマトタケルが、女装しクマソタケル兄弟の寝所に忍び込み、これらを討ち、その際に「タケル」の名を弟タケルより献上されたという神話で有名である。(Wikiの同項より引用の上一部修正)

 この“熊襲の国”の本拠地に、それを治めるべく打ち建てられた城であり、それゆえに『熊本城』と名づけられたという説は、今俺が勝手に考えついたものなので信じてはいけない。

 あと、外人さんに向かって本気でキャッスル・オブ・ベア・ブックなどというと、可哀相なものを見る目で見られるので気を付けよう! 君と僕だけの約束だ!


 さて。

 てっきり宝物館かと思って入った博物館が本当に博物館だったことに驚いたり、「熊本博物館案内ボランティア 博萌会」という看板に「なんだ!? なにに萌えてるんだ!?」と騒然としたりなどしながら、俺たちは熊本城にたどり着いた。



 蒼穹の空を貫いてそそり立つ、黒鴉の巨城。周りには巨大な堀が巡らされ、急峻な坂と身を鎧うかのごとき武者返しがその身を護る。

 築城の名手と謳われた加藤清正の最高傑作であり、西南戦争の折、この城を襲いながらついに攻め落とせなかった西郷隆盛は、こう言い放ったという。


「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」


 目眩くような歴史のよすがに身をゆだねつつ、坂道を昇りきった俺は思った。しんどい。こんなとこ攻めたくねえ。戦争反対。


いかん。眠い。続く!