2010年02月11日
【ネタバレてんこ盛り】『涼宮ハルヒの消失』見てきましたよっ。
おーもーしーろーかったー!!!!!!!!!!!!!!!!!!(≧▽≦)
原作の中でもとりわけ人気の高いエピソードですが、そりゃもう見事に昇華されてましたねっ。さすがの京アニクオリティの作画に声優陣の熱演、演出、どれも素晴らしいレベルでしたが、やはり、でも、なんといってもあの「物語」ですよ!
ある日、目覚めてみると、そこは「涼宮ハルヒのいない世界」だった。
そこから始まる物語の、まあ、なんて容赦のないこと。
当たり前だった“日常”が、突如として“まったく違うもの”へと変わった衝撃。
特別な繋がりを有していた人たちが、自分を「見知らぬ他人」と認識するという絶望。
あがいても、あがいても、手がかりがその手をすり抜けていく焦燥。
狂人にしか見えないキョンの行動が、その絶望をより深めてくれる。
それを受け入れ、新たな日常の中で暮らしていくしかないのか。物語がそんな色合いを見せ始めたとき。
―― 不 意 に 希 望 が 差 し 込 む 。
手がかりと言うには、あまりにささやかな手がかり。しかし、それを追い、しゃにむに突き進む中で、ようやくキョンはつかむ。
失われていた「涼宮ハルヒ」というピースを。
そこからは、一気ですわ。物語は急速に加速していく。裏返っていたコマがひっくり返るように、違う世界の、違うハルヒが、でも同じ行動力を持って事態を一変させていく。当たり前だ。「消失」されていた「涼宮ハルヒ」が見つかった以上、この物語はいつもの「涼宮ハルヒの物語」へと立ち返ったのだから。
そして、大団円。今まで語られてきた「涼宮ハルヒの物語」全てを総括する、本当に素晴らしいエンディングでしたよ。時間移動が便利に使われすぎって気はするけど。(笑)
ああ、面白かった。
非難囂々を巻き起こした第二部が、なぜにああいう形ででも、放映されなければいけなかったのか、今回の物語を見て初めて分かった気がする。
「笹の葉ラプソディ」は確かに、この物語を理解し、味わうには、先に見せておかないといけない話だった。伏線――と言うか、物語の前提条件そのものと言っていい話だったからね。
「エンドレス・エイト」も同じ。今回の話のキモとも言うべき、長門の暴走を理解するためには、長門の置かれた特異な立場と与えられた無理からな使命、そしてSOS団の皆との交流の中で芽生えつつあった「感情の揺らぎ」を視聴者に見せておく必要があったのだろう。
そう思うと、この映画のために、録りためてあった「エンドレス・エイト」を一日で一気見した時のあのやり場のない衝動も、納得できる気がする。
っ て そ ん な 訳 あ る か 。
やっぱり「エンドレスエイト」はやりすぎじゃーい! 納得できるかー! でも映画は超面白かったわおんどれー!
いや、やっぱりハルヒはおもしろいね! オープニングで「冒険でしょでしょ」が流れたときには、思わず顔面が笑み崩れましたよっ。
あー、楽しかった。また新作にお会いしたいもんです。
分 裂 の 下 巻 に も ね ☆
追記:
しかし、しみじみとこいつは、自分が夢見て、あきらめた「憧れ」の傷跡を、ぐりぐりと刺激してくれる作品だったよ。
キョン自身が言っているように、この作品においてキョンはついに、「傍観者」から「当事者」になる。今まで、ハルヒが巻き起こす事件を批判し、論評するだけだった立場から、それを「ともに巻き起こす」立場に。
「アニメや漫画のような青春が送りたい。送りたかった」というのはオタクの究極の夢だと思うのだが(だから、“学園モノ”というジャンルが絶えることはない)、ラストの独白で、キョンはその気持ちを赤裸々に語る。
その憧れの生活にどれだけの価値があるかを語り、そしてそれが楽しいもので、自分も本当は「そちら側に行きたかった」のだと告白する。多分それは、我々の中に、多かれ少なかれ、存在している真情だ。普段は気付かなかったり、気付いてないふりをしていたり、そんなもの興味はないよと否定していたりしているが、キョンの独白は、そんな「奥底にある本当の気持ち」を変わって吐露してくれていた。
そして、彼は「あちら側」の住人となる。観客である俺らと同じ立場にいたキョンが、「向こう側」に行くのだ。
しかもその世界は、“彼が”選ぶことによって帰ってくる世界だ。しかも、「彼のことを受け入れ」「彼無しでは成立しない」世界でもある。
なんと素晴らしいことだろうか。自分が憧れた「アニメや漫画のような生活」。それが現実の物となり、しかもその生活の構成要素として、彼は「不可欠」な存在なのだ。
全てが満たされた「完璧な世界」。
キョンに感情移入し、成りきって見ていた我々観客も、その瞬間、そんな「完璧な世界にたどりつけた」気がしたんじゃ無かろうか。その疑似体験が出来たんじゃなかろうか。
それがあの作品を見ていて、鳥肌が立つほどのカタルシスを得られた理由だと思う。
ただなあ。この年になって思うけど、そういう「アニメやマンガみたいな生活」って、本当は、すぐそこにあるんだよな。そりゃ宇宙人や超能力者、未来人はそういないだろうけど、冒険やワクワクに満ちた人生ってのは、本当に、けっこう簡単に手に入る。
手を伸ばせばそこにあったのに、知らなかったり、勝手な思い込みで萎縮して、手を出せなかっただけなんだ。本当に、もったいないことしたと思う。
そういう、「アニメやマンガみたいな生活に憧れていた“あの頃”」の気持ちや、振り返って抱く、「ああ、なんで俺、あそこで手を出さなかったんだ。無駄に年食ったなあ」って後悔の念とか、「今の自分にたいする忸怩たる思い」とか、そんないろんなものを巻き上げて、「それでも!」と前向きにさせてくれる映画だったと思うのですよ。
ハルヒも、京アニもすげえな。見て、良かったよ。
原作の中でもとりわけ人気の高いエピソードですが、そりゃもう見事に昇華されてましたねっ。さすがの京アニクオリティの作画に声優陣の熱演、演出、どれも素晴らしいレベルでしたが、やはり、でも、なんといってもあの「物語」ですよ!
ある日、目覚めてみると、そこは「涼宮ハルヒのいない世界」だった。
そこから始まる物語の、まあ、なんて容赦のないこと。
当たり前だった“日常”が、突如として“まったく違うもの”へと変わった衝撃。
特別な繋がりを有していた人たちが、自分を「見知らぬ他人」と認識するという絶望。
あがいても、あがいても、手がかりがその手をすり抜けていく焦燥。
狂人にしか見えないキョンの行動が、その絶望をより深めてくれる。
それを受け入れ、新たな日常の中で暮らしていくしかないのか。物語がそんな色合いを見せ始めたとき。
―― 不 意 に 希 望 が 差 し 込 む 。
手がかりと言うには、あまりにささやかな手がかり。しかし、それを追い、しゃにむに突き進む中で、ようやくキョンはつかむ。
失われていた「涼宮ハルヒ」というピースを。
そこからは、一気ですわ。物語は急速に加速していく。裏返っていたコマがひっくり返るように、違う世界の、違うハルヒが、でも同じ行動力を持って事態を一変させていく。当たり前だ。「消失」されていた「涼宮ハルヒ」が見つかった以上、この物語はいつもの「涼宮ハルヒの物語」へと立ち返ったのだから。
そして、大団円。今まで語られてきた「涼宮ハルヒの物語」全てを総括する、本当に素晴らしいエンディングでしたよ。時間移動が便利に使われすぎって気はするけど。(笑)
ああ、面白かった。
非難囂々を巻き起こした第二部が、なぜにああいう形ででも、放映されなければいけなかったのか、今回の物語を見て初めて分かった気がする。
「笹の葉ラプソディ」は確かに、この物語を理解し、味わうには、先に見せておかないといけない話だった。伏線――と言うか、物語の前提条件そのものと言っていい話だったからね。
「エンドレス・エイト」も同じ。今回の話のキモとも言うべき、長門の暴走を理解するためには、長門の置かれた特異な立場と与えられた無理からな使命、そしてSOS団の皆との交流の中で芽生えつつあった「感情の揺らぎ」を視聴者に見せておく必要があったのだろう。
そう思うと、この映画のために、録りためてあった「エンドレス・エイト」を一日で一気見した時のあのやり場のない衝動も、納得できる気がする。
っ て そ ん な 訳 あ る か 。
やっぱり「エンドレスエイト」はやりすぎじゃーい! 納得できるかー! でも映画は超面白かったわおんどれー!
いや、やっぱりハルヒはおもしろいね! オープニングで「冒険でしょでしょ」が流れたときには、思わず顔面が笑み崩れましたよっ。
あー、楽しかった。また新作にお会いしたいもんです。
分 裂 の 下 巻 に も ね ☆
追記:
しかし、しみじみとこいつは、自分が夢見て、あきらめた「憧れ」の傷跡を、ぐりぐりと刺激してくれる作品だったよ。
キョン自身が言っているように、この作品においてキョンはついに、「傍観者」から「当事者」になる。今まで、ハルヒが巻き起こす事件を批判し、論評するだけだった立場から、それを「ともに巻き起こす」立場に。
「アニメや漫画のような青春が送りたい。送りたかった」というのはオタクの究極の夢だと思うのだが(だから、“学園モノ”というジャンルが絶えることはない)、ラストの独白で、キョンはその気持ちを赤裸々に語る。
その憧れの生活にどれだけの価値があるかを語り、そしてそれが楽しいもので、自分も本当は「そちら側に行きたかった」のだと告白する。多分それは、我々の中に、多かれ少なかれ、存在している真情だ。普段は気付かなかったり、気付いてないふりをしていたり、そんなもの興味はないよと否定していたりしているが、キョンの独白は、そんな「奥底にある本当の気持ち」を変わって吐露してくれていた。
そして、彼は「あちら側」の住人となる。観客である俺らと同じ立場にいたキョンが、「向こう側」に行くのだ。
しかもその世界は、“彼が”選ぶことによって帰ってくる世界だ。しかも、「彼のことを受け入れ」「彼無しでは成立しない」世界でもある。
なんと素晴らしいことだろうか。自分が憧れた「アニメや漫画のような生活」。それが現実の物となり、しかもその生活の構成要素として、彼は「不可欠」な存在なのだ。
全てが満たされた「完璧な世界」。
キョンに感情移入し、成りきって見ていた我々観客も、その瞬間、そんな「完璧な世界にたどりつけた」気がしたんじゃ無かろうか。その疑似体験が出来たんじゃなかろうか。
それがあの作品を見ていて、鳥肌が立つほどのカタルシスを得られた理由だと思う。
ただなあ。この年になって思うけど、そういう「アニメやマンガみたいな生活」って、本当は、すぐそこにあるんだよな。そりゃ宇宙人や超能力者、未来人はそういないだろうけど、冒険やワクワクに満ちた人生ってのは、本当に、けっこう簡単に手に入る。
手を伸ばせばそこにあったのに、知らなかったり、勝手な思い込みで萎縮して、手を出せなかっただけなんだ。本当に、もったいないことしたと思う。
そういう、「アニメやマンガみたいな生活に憧れていた“あの頃”」の気持ちや、振り返って抱く、「ああ、なんで俺、あそこで手を出さなかったんだ。無駄に年食ったなあ」って後悔の念とか、「今の自分にたいする忸怩たる思い」とか、そんないろんなものを巻き上げて、「それでも!」と前向きにさせてくれる映画だったと思うのですよ。
ハルヒも、京アニもすげえな。見て、良かったよ。
Posted by MAD at 03:10│Comments(0)
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