2008年03月05日
コンビニ学園外伝 ドス恋空。
思えばその日まで、俺――犬管にとってゆのみという女性は、理想の男性にしか過ぎなかったのだ。
「あー、疲れたー!!」
そう言って、ゆのみが大きく伸びをした。両手を上に突き上げたまま、ゴロン、と転がる。校舎裏の体育倉庫前。ここでいつも腰掛けて、一休みするのが俺たちの常だった。いつもはもう一人MADって奴がいたが、残念ながら今は琵琶湖の底で眠っている。
「またそんな足元も見んと! 犬のフンあっても知らんで?」
「えええ!? あるの!? ありやがるの!? ええい、ちゃんとペットの不始末は自分で始末しろって感じよね! フンコロガシめ! あたしの赤タグを返せー!!」
「なんやねん、フンコロガシて。まあフンはそうでも、石ころは関係ないよな」
「っさいわね。たんこぶ、まだ引いてないんだから。――って、そうそう、あれは修行よ!」
「修行?」
「うんうん、修行修行! 後ろ気にする修行! これでムラサキ(先生)みたいに、後ろから敵が来てもバッチリ対応って寸法よ!」
「石コロに殺気なんかあるか!」
「あるわよ!」
「ねえっつーの!」
「じゃ、なんで5回もあたしの頭狙うのよ!? ヤツは絶対殺る気よ!?」
「・・・そんなにぶつけてんのか・・・」
俺は靴底でザラリと地面をならし、ゆのみの隣へと腰掛けた。
俺とゆのみは、同じ美術教室に通っていた。街の小さな、美術教室だ。小さいながらも、腕は確かな先生が切り盛りするこの教室に、入門して初めてできた友達。それがこのゆのみという女だった。
俺には、3人の姉がいた。知らねえヤツにはうらやましがられるが、断言する。この世に、女兄弟ほどくそったれな存在はない。
奴らは意地悪で、陰湿で、狡猾だ。お菓子焼いたり、料理作ったりしてくれる? 寝言もたいがいにしろ。ケーキとは奪われるものだ。手料理? 俺が今まで食った奴らの手料理はただ一つ。実験台にと食わされた、バレンタインのチョコだけ。それも早く固まるようにと冷蔵庫に放り込まれ、墨痕淋漓と指の跡が刻まれたそいつを食って、俺は見事翌日学校を休んだ。
新しいオモチャを買えば奪われる。買ってきたマンガの本は、いつしか奴らの部屋にある。反撃なぞしようものなら、パンチにキックに電気あんま。10倍になって返ってくる。そのくせ、話すことと言えばどこぞのアイドルがステキだとか、どこぞのケーキが美味しいとか、くだらないことばかりだ。
そんな女という生き物に絶望し、男らしくなりたいと空手道場の門など叩いたこともある俺だったが、これはこれで複雑だった。男は男で、俺にはどこか、薄汚くて子供っぽく見えたのだ。一番上の姉が聞いてた、ユニコーンだかなんだかいう昔のバンドの曲にあったよなあ。女の子達は強過ぎ、男の子達は 意地悪。まあ、俺にそっちの気はないけど。
そんな中で、ゆのみは違った。強く優しく清潔で、曲がったことが大嫌い。目はいつも大きく開かれ、チャシャ猫のようないたずらっ子の笑みをたたえて、いつも面白いなにかを捜して回っている。動きは常に全力疾走。止まったら死ぬのかと思うほどに、いつもそこらを駆け回っている。
倒れようとも前のめり。反省すれども後悔はせず。さっぱりした気っぷと底抜けの笑顔。髪を後ろでくくり、いつもGパンをはいていたゆのみは、少女とも少年ともつかないその姿もあって、いつしか俺の体のいい手本となっていた。
「で、どこでまたブツけたんさ?」
「ん? ああ、石? それがねえ、これがまた語るも涙聞くも涙の物語で。――って、ああ!? 言ったっけ!? cokesiさんがヨロイ着て自分の家を攻略した話!」
「なんじゃそりゃぁぁぁ!!!」
俺たちは毎日、色んなことを話した。こういったバカ話だけじゃない。絵のこと。大好きなバンド「cokesi_Processor」の新曲のこと。学校のこと。親のこと。姉のこと。最近読んだ本のこと。最近ハマりだしたカメラのこと。政治経済のこと。平和。人間。今の夢。将来の夢。エトセトラ、エトセトラ。そしてそこには、いつも笑いが絶えなかった。
不意に、夕暮れの風が方向を変えた。身振り手振り、全身を使って、先日知り合ったあのカリスマ的インディーズバンド「cokesi_Processor」のヴォーカル、cokesiさんの大冒険を語っていたゆのみの髪が、風に踊って俺の顔を撫でた。
――あ。
ふうわりと、オレンジのような香りが俺を包んだ。ゴメンゴメン、とゆのみが頭を下げる。髪の毛当たっちゃったね。気持ち悪かったでしょ。ゴメンねー。
「あ、いや」
なんだか、不意にドキドキとして、俺は黙り込んだ。怒っちゃった?と、心配そうにゆのみが俺をのぞき込む。近づいた顔がなぜかまた胸の鼓動を早くして、知らず俺は顔をそらした。
「あああああのさ」
「ん?」
「ゆのみってさ、好きな人いるの?」
なんじゃそりゃぁぁぁ!!! 心の中で、一個師団の俺がいっせいにツッコミを入れた。なんでそんなこと聞いてんだ俺!? 案の定、パチクリ、と驚きの表情を浮かべて、ゆのみが俺を見た。
「突然、なによ。珍しいわね、アンタがそんなこと聞くの」
言ってけらら、と笑う。いるよ。いともあっさりと言い放ったその言葉に、俺の心臓がボカン、と跳ねた。
「好きな人はいるよ。お母さんにお父さん、お姉ちゃん。先生も好きだし、もちろん」
不意に、ゆのみの目が俺をのぞき込んだ。
「アンタも気に入ってる」
笑顔と言葉が、俺の脳天からつま先まで貫いて爆発した。弾けるような笑顔を残して、ゆのみという名の急降下爆撃機が遠ざかる。つややかに濡れ光る瞳の奥で、チャシャ猫が笑いながらくるくると廻っていた。
「ま、そーゆーんじゃないんでしょ? 恋してるかってこと? 今はしてないわね」
バカみたいに顔を真っ赤にして凍りついた俺を見て、ゆのみはくすくすと笑った。
「でも、ホラ。cokesiさんは?」
「cokesiさん? あれは恋っていうか・・・」
「言うか?」
ゆのみは少し黙り、俺の目をまっすぐ見ていった。
「難しいよね。よく分かんないと思わない?」
「な、なにが!?」
「言葉の意味。愛と恋に、LikeとLove。――どう違うんだと思う?」
「どうって」
言葉に詰まって、俺は黙り込んだ。そんなこと、考えたこともない。そう言われれば、似ているようでなにか違う気がする。
「あたしにはね、LikeとLoveは、量の違いって気がするの。Like、つまり『好き』って気持ちが大きく、強くなったのがLove。でも、恋と愛ってのはジャンルが違うように思えんのよねー」
「ジャンル?」
「そう、ジャンル」
言って、ゆのみは口を閉じた。おとがいに指をあて、やや考え込む。
「あたしにとって、恋ってのは、“占めるもの”なのよね。よく『恋は熱病』って言うじゃない? アレって本当だと思うのよ。のぼせ上がって、まわりが見えなくなって、相手のことで心が一杯になること。それが恋。でね、愛ってのは“増えるもの”だと思うのね」
「増えるもの?」
「うん」
山のきわに差しかかった太陽を見つめながら、ゆのみは一つ、頷いた。
「あれが好き。これが好き。そういう“気持ち”。それはいくら増えてもケンカしなくって、心を広げてくれるものだと思うのね。そういう優しく、愛しく思う心が“愛”」
らしくないかな? 見慣れた顔に、見たことのない表情をたたえて、ゆのみがそう問うた。夕暮れの色よりもなお赤く、羞じらいに頬を染めながら、隠しきれない憧憬をたたえたその横顔を、俺はバカみたいに口を開けて見ていた。
「本当に」
不意に目をそらし、ポツリとゆのみが言った。
「“恋愛”ってのが、『恋とか愛』っていうカテゴリーじゃなくて、恋を愛に変える過程だったらステキなのにね」
そう言って、照れた笑顔でゆのみは髪をかき上げた。夕暮れの陽射しがゆのみを包み、産毛が黄金色の光となって顔の輪郭を縁取る。風が吹いた。清冽で甘酸っぱいオレンジの香りが、俺の鼻孔と胸を満たした。どこか遠く、あるいは心の奥底で光るなにかに思いを馳せるように空を見上げていたゆのみが、となりに座る俺を見て、にこりと笑い。そして。多分その瞬間。
――俺は彼女に、恋をした。
Posted by MAD at 00:40
│便利男。(コンビニ祭まとめ)