2007年09月11日

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第二撃


5月27日(日)AM7:00。


 俺は、足跡を忍ばせて階段を上っていた。生臭坊主Sを起こすためである。しかし、と俺は、階段を上り終えて嘆息をついた。合板ではない、ムクの木をつかった床。高い天井。大きな壁。大きなソファ。そして、しつらえられた巨大なバー。


 落 ち て る オ タ ク グ ッ ズ で 台 無 し 。


 道具は、使う人間によって神にも悪魔にもなりうる。猫に小判。いや。俺は巨大なイビキを立てながら惰眠をむさぼる部屋主の、丸い顔を見ながら思った。豚に真珠か。(ひでえ)


 ――顔に、濡れタオルをかぶせるとかどうだろう?


 しばし、奴を起こす手段を思案していた俺だが、結局手で揺すって起こすことにした。バスタオルがなかったのである。メイドの格好をしてベッドに入り、「おはようございます、ご主人様☆」と言って起こす、ということも考えたが、奴の一生にトラウマを残すだけでなく、俺の人生にも巨大な禍根を残す気がしたのであきらめた。メイド服もなかったし。

 なお、Sの家の朝ご飯は大変豪華で美味しかった。朝っぱらから、風に吹かれて豆腐屋ジョニーが食えようとは! ブルジョアだ! ブルジョアジーだ!! トサカに来たぜ!(ジョニー違い)

 あのような親切で温厚篤実なお母さんから、Sのようなパタリロが産まれる。遺伝の限界というものに思いを馳せつつ、我々は一路熊本城を目指し、旅立つのであった。

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第二撃

 熊本城。

 英語で言うとキャッスル・オブ・ベア・ブック。断じて赤カブトが造った城ではない。日本三名城、日本100名城の一つであり、別名を銀杏城、カラス城という。築城は加藤清正。つまり清正は熊だったんだよ! なんだってー!?(AAry

 かつて南九州に本拠を構え、ヤマト王権に抵抗した勢力にクマソと呼ばれる一族がいた。日本書紀には熊襲と表記され、古事記には熊曾と表記される勇猛無類、独立不羈の“火の民”である。

 当時小碓命と名乗ったヤマトタケルが、女装しクマソタケル兄弟の寝所に忍び込み、これらを討ち、その際に「タケル」の名を弟タケルより献上されたという神話で有名である。(Wikiの同項より引用の上一部修正)

 この“熊襲の国”の本拠地に、それを治めるべく打ち建てられた城であり、それゆえに『熊本城』と名づけられたという説は、今俺が勝手に考えついたものなので信じてはいけない。

 あと、外人さんに向かって本気でキャッスル・オブ・ベア・ブックなどというと、可哀相なものを見る目で見られるので気を付けよう! 君と僕だけの約束だ!


 さて。

 てっきり宝物館かと思って入った博物館が本当に博物館だったことに驚いたり、「熊本博物館案内ボランティア 博萌会」という看板に「なんだ!? なにに萌えてるんだ!?」と騒然としたりなどしながら、俺たちは熊本城にたどり着いた。

ナイン・ステイツ・ストライクス!!!第二撃

 蒼穹の空を貫いてそそり立つ、黒鴉の巨城。周りには巨大な堀が巡らされ、急峻な坂と身を鎧うかのごとき武者返しがその身を護る。

 築城の名手と謳われた加藤清正の最高傑作であり、西南戦争の折、この城を襲いながらついに攻め落とせなかった西郷隆盛は、こう言い放ったという。


「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」


 目眩くような歴史のよすがに身をゆだねつつ、坂道を昇りきった俺は思った。しんどい。こんなとこ攻めたくねえ。戦争反対。


いかん。眠い。続く!


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