2007年09月26日
ザ・ラストレッドショルダー。
昨日の続き。
さて、ひこにゃんを堪能したら、お次は彦根城博物館の探索である。天守閣は通常500円のところが「400年祭特別価格」とやらで1,000円になってたので上るのやめた。つか、普通「特別価格」って安くなるモンじゃねえの!? 舐めんなハゲー!!
「おお、これがひこにゃんのかぶってたカブトか!」
「逆だ逆ー! これが元にひこにゃんカブトになったの!」
「固いこと言うなよ友人M。お、『井伊の赤備え』! かっくいー♪」
「前立てが横やし、これ藩主のやなー」
「そなのか、友人M!?」
「うん。藩主のは前立て、横から出てんのよ」
「ほほー」
「もともと武田家由来の陣立てなんだけどね。赤備えって」
「おまえ、東洋史学科のくせに、よくそーゆー知識がサラサラと出てくんね・・・」
「赤」っつーと、うちらの世代は通常の3倍のスピードのあのお方を思い出すが、赤備え(あかぞなえ)は戦国時代の軍団編成の一種で、具足、旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事である。
赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕え『甲山の猛虎』とも謳われた飯富虎昌が嚆矢とされ、以後赤備えは専ら甲斐武田軍団の代名詞とされた。
永禄8年(1565年)に虎昌が義信事件に連座し切腹すると、虎昌の部隊は彼の実弟(甥とも)とされる山県昌景が引継ぎ、同時に赤備えも継承した。知勇兼備の名将と知られ、三方ヶ原の戦いでは徳川家康本陣に突進し、武田軍の背後を狙ったはずの家康軍を返り討ち。「山県という者、恐ろしき武将ぞ」と遁走した家康は、脱糞したのも気づかぬほど恐怖し、一時は自害を覚悟したという。
長篠の戦いで、撤退を進言したが容れられず、覚悟の突入の最中に戦死。享年47。
この山県の遺臣を与えられ、家康より「赤備え」を継承するよう命じられたのが彦根藩初代藩主にして、徳川三傑・徳川四天王・十六神将の一人、そして家康唯一の衆道の相手としても知られる井伊直政である。うむ。最後の一つはイヤ過ぎる。
井伊の赤備えは小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、井伊の赤鬼と呼ばれ恐れられた。こちらも知勇兼備、忠勇無類の名将であったが、味方にも容赦が無く、家臣のわずかな失敗も許さずに手討ちにすることも少なくなかったため、『人斬り兵部』とも称された。おかげで本多忠勝の下に多くの家臣が去るわ、筆頭家老である木俣守勝ですら、直政の下にいるのが怖くなり、家康に旗本に戻してくれるように頼むわ、その死に至っても殉死する家臣が一人もいなかったわでもう散々だが、衆道にあんまり興味がなかった家康を一目惚れさせるくらいの超美男子だったらしいです。どうでもいいですかそうですか。
つか、知勇兼備で超美形。熱血無頼、傲岸不遜。でも主君にラブラブの懐刀って、それなんて角川ルビー文庫? そりゃあ腐女子も放っておかないぜ!(放っておいて下さい)
ま、そんな勇猛を誇った井伊家も、太平の世にさすがに錆び付いたと見え、長州征伐じゃ無様にボロ負けしたあげく、赤備えを放り出して逃げたらしい。それを見た長州軍の行動がまたふるってて、回収して持ち主の名前を確認したあげく、持ち主の所に丁重に送り届けたそうな。うわー、イヤミー!! 戊辰戦争の時も、同じようなことをやらかしたうえ、最初は旧幕府軍の先鋒を務めたが、戦いの最中に新政府軍に寝返ったそうな。ご先祖が見たら切腹じゃすまねえぞオルァッ!!
その恭順が功を奏したのか、明治時代になると伯爵となり、華族に列したそうだから、政治的には正解だったんだろうけど、なんだかなあ。
なお、この戦国最強軍団である「井伊の赤備え」を、唯一人一敗地にまみれさせたのが、戦国孤高の英雄、幸村こと真田信繁率いる「真田の赤備え」である。
武田家伝統の赤備えで編成した真田信繁隊は、天王寺口の戦いで家康本陣を攻撃し、三方ヶ原の戦い以来と言われる本陣突き崩しを成し遂げ、一時は家康に死を覚悟させた。後に島津忠恒がこの奮戦を聞き、こう賞した。
『真田日本一の兵 古よりの物語にもこれなき由』
一方、海外における赤い英雄と言えば、やはり“レッド・バロン”マンフレート・フォン・リヒトホーフェンだろうか。
騎士道に厚く、ケンカっ早くて男前。真っ赤に塗られたフォッカーDr.Iを駆り、率いた戦闘航空団は「リヒトホーフェン・サーカス」と呼ばれて敵より恐れられた。第一次大戦の英雄にして、『エースの中のエース』。その死は敵からも惜しまれ、イギリス空軍はドイツ軍陣地の上空から「リヒトホーフェン大尉に捧ぐ」と記された哀悼の花輪を投下したという。
なお、アメリカの漫画家、チャールズ・M・シュルツの漫画『ピーナッツ』のスヌーピーが、愛機に見立てた犬小屋を駆って闘っている相手はこのリヒトホーフェンである。
以上。Wikiのいろんな項目からコピペ整形! ああ、疲れた。
現在彦根城博物館は「彦根城築城400年祭」特別展示として、「百花繚乱−彦根歴史絵巻ー」と名づけられたテーマ別展示を、期間限定で行っている。
そのテーマは
巻の1 最強の軍団−井伊の赤備え−
巻の2 彦根城と城下町−まちづくりのあゆみ−
巻の3 大名のおしゃれ−井伊家伝来・刀剣と刀装の名品−
巻の4 決断!開国と大老井伊直弼
巻の5 一期一会−井伊直弼の茶の湯−
巻の6 幽玄−井伊家伝来・能面と能装束の名品−
巻の7 よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華
巻の8 戦国から泰平の世へ−井伊直政から直孝の時代−
の8つである。巻の1と3が猛烈に見たかったー!!
俺が訪れた日にやっていたのは「巻の6 幽玄−井伊家伝来・能面と能装束の名品−」。ちょうど先日成田美名子の『花よりも花のごとく』の新刊を読んだばっかりだったから、すげえ楽しかったぜ!
能面というと「翁」や「お多福」みたいな種類しか知らんかったけど、近くで見るとすごいリアルなのなー。
堪能した我々は、お土産を買うべく街へと繰り出した!!
(続く)
さて、ひこにゃんを堪能したら、お次は彦根城博物館の探索である。天守閣は通常500円のところが「400年祭特別価格」とやらで1,000円になってたので上るのやめた。つか、普通「特別価格」って安くなるモンじゃねえの!? 舐めんなハゲー!!
「おお、これがひこにゃんのかぶってたカブトか!」
「逆だ逆ー! これが元にひこにゃんカブトになったの!」
「固いこと言うなよ友人M。お、『井伊の赤備え』! かっくいー♪」
「前立てが横やし、これ藩主のやなー」
「そなのか、友人M!?」
「うん。藩主のは前立て、横から出てんのよ」
「ほほー」
「もともと武田家由来の陣立てなんだけどね。赤備えって」
「おまえ、東洋史学科のくせに、よくそーゆー知識がサラサラと出てくんね・・・」
「赤」っつーと、うちらの世代は通常の3倍のスピードのあのお方を思い出すが、赤備え(あかぞなえ)は戦国時代の軍団編成の一種で、具足、旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事である。
赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕え『甲山の猛虎』とも謳われた飯富虎昌が嚆矢とされ、以後赤備えは専ら甲斐武田軍団の代名詞とされた。
永禄8年(1565年)に虎昌が義信事件に連座し切腹すると、虎昌の部隊は彼の実弟(甥とも)とされる山県昌景が引継ぎ、同時に赤備えも継承した。知勇兼備の名将と知られ、三方ヶ原の戦いでは徳川家康本陣に突進し、武田軍の背後を狙ったはずの家康軍を返り討ち。「山県という者、恐ろしき武将ぞ」と遁走した家康は、脱糞したのも気づかぬほど恐怖し、一時は自害を覚悟したという。
長篠の戦いで、撤退を進言したが容れられず、覚悟の突入の最中に戦死。享年47。
この山県の遺臣を与えられ、家康より「赤備え」を継承するよう命じられたのが彦根藩初代藩主にして、徳川三傑・徳川四天王・十六神将の一人、そして家康唯一の衆道の相手としても知られる井伊直政である。うむ。最後の一つはイヤ過ぎる。
井伊の赤備えは小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、井伊の赤鬼と呼ばれ恐れられた。こちらも知勇兼備、忠勇無類の名将であったが、味方にも容赦が無く、家臣のわずかな失敗も許さずに手討ちにすることも少なくなかったため、『人斬り兵部』とも称された。おかげで本多忠勝の下に多くの家臣が去るわ、筆頭家老である木俣守勝ですら、直政の下にいるのが怖くなり、家康に旗本に戻してくれるように頼むわ、その死に至っても殉死する家臣が一人もいなかったわでもう散々だが、衆道にあんまり興味がなかった家康を一目惚れさせるくらいの超美男子だったらしいです。どうでもいいですかそうですか。
つか、知勇兼備で超美形。熱血無頼、傲岸不遜。でも主君にラブラブの懐刀って、それなんて角川ルビー文庫? そりゃあ腐女子も放っておかないぜ!(放っておいて下さい)
ま、そんな勇猛を誇った井伊家も、太平の世にさすがに錆び付いたと見え、長州征伐じゃ無様にボロ負けしたあげく、赤備えを放り出して逃げたらしい。それを見た長州軍の行動がまたふるってて、回収して持ち主の名前を確認したあげく、持ち主の所に丁重に送り届けたそうな。うわー、イヤミー!! 戊辰戦争の時も、同じようなことをやらかしたうえ、最初は旧幕府軍の先鋒を務めたが、戦いの最中に新政府軍に寝返ったそうな。ご先祖が見たら切腹じゃすまねえぞオルァッ!!
その恭順が功を奏したのか、明治時代になると伯爵となり、華族に列したそうだから、政治的には正解だったんだろうけど、なんだかなあ。
なお、この戦国最強軍団である「井伊の赤備え」を、唯一人一敗地にまみれさせたのが、戦国孤高の英雄、幸村こと真田信繁率いる「真田の赤備え」である。
武田家伝統の赤備えで編成した真田信繁隊は、天王寺口の戦いで家康本陣を攻撃し、三方ヶ原の戦い以来と言われる本陣突き崩しを成し遂げ、一時は家康に死を覚悟させた。後に島津忠恒がこの奮戦を聞き、こう賞した。
『真田日本一の兵 古よりの物語にもこれなき由』
一方、海外における赤い英雄と言えば、やはり“レッド・バロン”マンフレート・フォン・リヒトホーフェンだろうか。
騎士道に厚く、ケンカっ早くて男前。真っ赤に塗られたフォッカーDr.Iを駆り、率いた戦闘航空団は「リヒトホーフェン・サーカス」と呼ばれて敵より恐れられた。第一次大戦の英雄にして、『エースの中のエース』。その死は敵からも惜しまれ、イギリス空軍はドイツ軍陣地の上空から「リヒトホーフェン大尉に捧ぐ」と記された哀悼の花輪を投下したという。
なお、アメリカの漫画家、チャールズ・M・シュルツの漫画『ピーナッツ』のスヌーピーが、愛機に見立てた犬小屋を駆って闘っている相手はこのリヒトホーフェンである。
以上。Wikiのいろんな項目からコピペ整形! ああ、疲れた。
現在彦根城博物館は「彦根城築城400年祭」特別展示として、「百花繚乱−彦根歴史絵巻ー」と名づけられたテーマ別展示を、期間限定で行っている。
そのテーマは
巻の1 最強の軍団−井伊の赤備え−
巻の2 彦根城と城下町−まちづくりのあゆみ−
巻の3 大名のおしゃれ−井伊家伝来・刀剣と刀装の名品−
巻の4 決断!開国と大老井伊直弼
巻の5 一期一会−井伊直弼の茶の湯−
巻の6 幽玄−井伊家伝来・能面と能装束の名品−
巻の7 よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華
巻の8 戦国から泰平の世へ−井伊直政から直孝の時代−
の8つである。巻の1と3が猛烈に見たかったー!!
俺が訪れた日にやっていたのは「巻の6 幽玄−井伊家伝来・能面と能装束の名品−」。ちょうど先日成田美名子の『花よりも花のごとく』の新刊を読んだばっかりだったから、すげえ楽しかったぜ!
能面というと「翁」や「お多福」みたいな種類しか知らんかったけど、近くで見るとすごいリアルなのなー。
堪能した我々は、お土産を買うべく街へと繰り出した!!
(続く)
Posted by MAD at 23:59│Comments(1)
│風雲録。「彦根」
この記事へのコメント
ちらっと聞いた話ですが、彦根城入場料金1000円ですが、400年祭が
終わったら600円になるとか聞きました。
僕は5月に上がったのですが、当初は上がる気も無かったんですが、
急遽しまさこにゃんが天守に上がると言う事で、慌ててお供で上がりました。
Posted by 湖東 at 2007年09月27日 21:50
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