2008年11月12日

有明の海は俺の海。~九州プチ旅行前編~


 佐賀。それは人類に残された最後のフロンティア。


『佐賀。“日本最後の秘境”“魔都”“ジャパニーズ・サルガッソー”“泥の向こうのガンダーラ”など、いくつもの異名を持つこの魔境にまつわる伝説は多い。



 曰く、陸上から徒歩1分の干潟で旅行者が頭から泥に突き刺さっていた

 曰く、海賊ならぬ泥族がガタスキーで旅行者に突っ込んで、倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する

 曰く、タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われようにもショッピングセンターがない

 曰く、バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスがガタスキーだった

 曰く、「そんな田舎なわけがない」といって出て行った旅行者が5年後街につけずに戻ってきた

 曰く、「何も持たなければ買わされるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が有田焼と唐津焼と伊万里焼を売りつけられて戻ってきた

 曰く、最近流行っている漁は「石漁」 石を手に持って魚に殴りかかるから

 曰く、中心駅から半径200kmは水没率が150%。干潟が100%で、満潮になったら水5割増しの意味

 曰く、佐賀における死亡者は1年平均1200人、うち約200人が化け猫のせいで、500人は干潟に落ちて。残りはくんちで飲み過ぎて


 なお、現代において戦記物文学を指して「サガ」と呼ぶことがあるが、これは古来より佐賀では「三国志なんて子供のケンカ。西遊記ははじめてのお使い」と呼ばれるほど毎日が大冒険であったため、その日常を伝え聞いた諸国の者が以後、大活劇や冒険談、荒唐無稽な法螺話を『まるで佐賀の話のようだ』と言ったことに由来するが、あまり知られていない。」
(民明書房刊『魔界闘史SA・GA』より)



 とゆーわけで。9月中旬某日。俺は佐賀にいた。遅い夏休みというか、会社の連休があったのだがすることがない。こらどーするべ、ホーヤレホー♪と家で一人で踊っていたら、たまたま大阪に来ていた大学時代のツレ、パタリロ・ド・サガネールことつぶれアンマンこと雪崩れ肉まんことインスマウスことアパッチ魚人君こと(以下千行削除)生臭坊主志野が遊びに来いとゆーので、ホイホイ着いていってやったのである。

 女連れの志野が見栄を張ったのかせがまれたのか、柄にも合わず、顔にはもっと似合わない劇団四季の『オペラ座の怪人』なぞを見るのに付き合ったため、我々が佐賀に着いたのはもう、とっぷり夜も更けた頃合いであった。ちなみに柄にも合わない、顔にはもっと似合わない『オペラ座の怪人』観劇中、奴はきっちりイビキをかいて寝ていた。つか、「ギ。ゴゴゴゴゴ!!!!」みたいな奇怪な重訂音が響くから、ナニゴトかと思ったわ! 「オペラ座の怪人」て、お前が怪人だ-!!!! まったく、人の眠りを邪魔しやがって!


 さて。生臭坊主の寺に荷物を置き、我々がまず向かったのは「なかの」というおでん屋であった。ここは一見ただのお総菜屋さんのようだが、実は予約客のみ受付けてくれる、隠れおでん屋なのである。佐賀駅そばに『梟の響キ』というバカみたいに旨い居酒屋があるのだが、そこの大将が店を若い者に任せ、新たに出店した趣味の店なのだそうだ。こういうお店に連れてくるとは、まったく生臭坊主も100年に一度くらい役に立つ。生かしておいた甲斐があるというものである。


有明の海は俺の海。~九州プチ旅行前編~


「うおおお! 対馬地鶏ヤバイ! うまいを通り越してヤバイ!」
「レバーも味スッキリしてんなー」
「おでんも絶妙の出汁だね! じゅわっとくるこの巾着がたまらんですタイ。うまいでバッテン! ためしてガッテン!」
「えーと、殴るぞ?」
「刺身もうめえなー。さすが海の国。おおお! 厚焼き玉子とかき揚げ! 俺はかき揚げを見たら食わないと死んじまう病なんだ!」
「死ねば?」
「お兄さーん! 厚焼き玉子とかき揚げいっちょー!」


 そして20分後。予想以上に巨大であった厚焼き玉子とかき揚げ連合軍に全面敗北し、畳の上をのたうち回る俺の姿があったと、後世の歴史家は伝えている。



 明けて翌日。我々はさっそうと有明海目指し、車を走らせていた。

「いやあ、昨日はひどい目に合いましたな!」
「お前がガンガン頼むからだろうが!」
「なにを言う! 利休も言っているだろう! 会食というのは一期一会だと! すなわち出会いはいちご100%」
「言ってねえよ」
「出会いは~♪ スローモーション~♪ あの後行ったバーも良かったな」
「ああ、ケンさんとこな。旨かったろ?」
「おう。サラトガクーラーめちゃ旨で雰囲気もいいし、あれでお前が一緒じゃなかったら完璧だった」
「ここで置いてったろかぁぁぁぁ!!!!!」

 という和やかなトークを交わしつつ、我々が向かったのは祐徳稲荷神社であった。

 祐徳稲荷神社は鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請して建立された神社である。貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた、とのこと。
(Wikiの同項より抜粋して編集)

 日本三大稲荷の一つと知られ(異説有り)、九州では太宰府天満宮に次ぐ年間280万人もの参詣者を集める大社である。京都伏見稲荷近郊の某大学で4年を過ごし、先日豊川稲荷にも詣でた自分としては、ここは外せぬセレクトなのである。これで三大稲荷制覇だぜ!(ポケモン風に)

 そして、その神社はと申しますれば。


有明の海は俺の海。~九州プチ旅行前編~


「うおおお! すんげー!」

 山肌に沿うがごとく建てられた絢爛たる建物は、どこか、沖縄の首里門のような唐風の異国情緒を漂わせ、商売と五穀豊穣を護る神にふさわしく、朱と金とで身を覆っていた。

「すごいねー。デカイね!」
「そうだろうハッハッハ」
「なぜお前が威張る。つか本当にでかいな。さすが『佐賀は平地と田んぼばっかりで、3階建ての建物は祐徳稲荷神社しかない』って言うだけはある!」
「誰が言ってるんだ誰が!?」
「punimgさん」
「あ?」
「棒さんは対抗して『群馬には山しかない』って言ってた」
「誰?」
「さあ?」

 現在の大社は昭和32年(1957年)に再建された新しいものだと言うが、豪壮華麗なその勇姿は、幾百もの昔から尊崇を集め、肥前のみならず九州一円に勢威を誇ったその歴史を見せつけるように、傲然とたたずんでいた。三大社の一角に恥じぬ、それは偉容であった。

 ただ、惜しむらくはこの神社には、「恐さ」がないことだろう。たとえば伏見稲荷神社には「千本鳥居」がある。奥社まで果てなく続く山道を覆う無数の鳥居は、歩むものを異界へと誘う。正直な話、黄昏時からかはたれ時に到るまでの時間帯に、俺はあの鳥居を歩みたくない。本当にどこか、異界に誘われる心地がするからだ。あれほど凄絶な「怖さ」を有する場所を、俺は他に知らない。

 もう一つの稲荷信仰の総本山豊川稲荷もまた、その裡に異界を隠し持つ。ここにも「千本幟」という風習があるが、その幟の導く先にある「霊狐塚」がそれだ。無数の霊狐がたたずむこの一角は、訪れた者を慄然とした畏怖で打たずにはおかない。

 古来、神は「祟るもの」であった。今ではめっきり信者達に恩恵ばかりを与うる、好々爺然とした存在となった本朝の神々も、かつては理不尽かつ強大な神威をもって、破滅をもたらす祟り神に他ならなかった。その過去を、この二つを訪れる者は思い出さずにはいられない。

 祐徳稲荷神社には、その「昏い部分」がない。それは江戸時代という比較的新しい時代に、勧請によって開かれたという歴史によるものか。それともかつて「火の民」と呼ばれ、日本のラテン民族とも言うべき陽気で情熱的な歴史を育んできた九州の民の、その猛くも郎らかなる民族性によるべきものなのだろうか。

 長く折れ続く階段を上り、俺と志野は本殿を拝した。これまた絢爛豪華な賽銭箱に、幾ばくかの硬貨を投げ入れ、二拝二拍手一拝。ちょっと人には言えない素敵な願いをぶちまけた後、ふと横を見ると、そこには粗末な小さなほこらがあった。コツリコツリと音を立てて近づくと、そこにはこんな感じのことが書かれてあった。

「石壁神社。己が二人の子を幼くして失った萬子媛は深い悲嘆に暮れた。そして貞享4年62歳の時此の地に祐徳院を創立し、自ら神仏に仕えた。以後熱心な奉仕を続け、齢80歳となった宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ入定した」

 それを読みながら、俺はああ、と思った。昏い部分のないこの祐徳稲荷神社。それは己が勧請したこの神社で、夭逝した子らの菩提を弔い、偲び続けた萬子媛の、哀しくも優しい母徳のなせるわざだったのかもしれない。

 パン、パンと柏手を打ち、俺は頭を下げた。ただ、下げ続けた。

 そして十数分後。

 俺たちはまた車に乗っていた。山際にそそり立つ祐徳稲荷神社は遠くなり、やがて木陰にまぎれて見えなくなっていった。

 かわりに、地平線まで見えようかという平らかで柔らかな佐賀の道の向こうに、やがてきらめく有明の海が見えてきた。海の匂いが薫る。陽射しを受けて黄金色にさざめく海を目指して、車はただひたすら走っていった。


 続く!


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