2008年06月09日
時代。
購入:
『ラディカル・ホスピタル Vol.1』ひらのあゆ著
『電波的な彼女』片山憲太郎著
『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸』入間人間著
『サージャント・グリズリー』彩峰優著
『撲殺天使ドクロちゃん 7』おかゆまさき著
『身代わり伯爵の冒険』清家未森著
『傷物語』西尾維新著
『虎よ、虎よ! 新装版』アルフレッド・ベスター著/中田耕治著
『いのちのパレード』恩田陸著
『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』古川愛哲著
『社会科見学に行こう!』小島健一(社会科見学に行こう!)編著
『西の旅vol.17』特集:「歩きたくなる城下町」
今日は産まれたばかりの姪っ子のお食い初めでした。
起 き た ら 終 わ っ て た け ど 。
ダメな叔父さんでゴメンよ。orz
この前買った『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』って本がべらぼうに面白い。
『活字倶楽部』に載ってた書評見てたら、面白そうだったんで買ったんだが、これはあたりだった。もう、1ページめくるたびに目からウロコがぼろぼろ落ちる。つか、うひゃうひゃ笑いが漏れる。
たとえば、江戸時代は身なりが全てだったという話。月代を剃っていない浪人はすぐ奉行所に連行されたし、髪の結い方で身分も明らかになる。黒羽織を着ている者は「御徒」(徒歩の御家人)で、浅葱色の羽織を着ている者は諸国からの勤番もので金もない田舎ものなので茶屋娘にさえバカにされる。ただし粗末な羽織を着ている者でも、太刀を水平に差す侍は抜刀術の盛んな水戸徳川家の家臣なので丁重に扱われた。武士以外のものが羽織袴で二本差しに化けるのは大罪だが、すぐばれる可能性が高いという。子供の頃から二本差しの武家は、刀を差す左足が太く、大きくなっているからだそうだ。なるほど。
水戸黄門で有名な葵の紋も、将軍家と御三家、松平家では葉っぱの筋の本数や裏表など、明確な違いがあり、明治時代に、これが元で見破られた有名な詐欺事件があったという。最後の将軍慶喜公の実弟と称する男が名古屋の伊藤呉服店で紋付き衣服をあつらえて進上するよう命じたところ、徳川譜代の呉服店であった同店の番頭がこう尋ねたのだそうだ。
「かしこまりました。御紋のお筋立てはおいく筋にすればよろしいでしょう?」
返答に窮した詐欺師を不審に思った番頭が後を付けさせ、男は捕まったという。
紋については他にも面白い話が載っていて、たとえば十三代将軍家定が行幸のさいに、たまたま立ち寄った上州屋という商家の話。水を所望した礼に、銭5貫と、三つ葉葵の紋が入った「御成先御用」と書かれた提灯を拝領した。
めでたいことだと宴会が開かれたが、結局その経費で銭5貫は消えたどころか、大赤字。ありがた迷惑だったと、提灯は店の隅に片付けてしまった。
これが役立ったのが、それからだいぶ経ってからの大火事の時。紅蓮の炎が店に迫ったとき、町役人が飛んできてこう叫んだのだという。
「なにをしている上州屋! 早く御成先御用の提灯を出せ!」
意味も分からず、命じられて提灯を出して提げるや否や、それを見た町奉行山口駿河守がすっ飛んできた。上州屋の前に床几を据えて陣頭指揮を開始。20~30人の与力が人襖を作って火の粉を払い始めるわ、火消し連は「それっ、御成先御用の家だ」と言って一斉に集まり屋根に纏を据えるわで、ガッチリ上州屋をガード。おかげで類焼に遭わなかったという。
女性に関する感覚も、現在とは相当な開きがあったそうです。恋愛は遊女に対してするもので、嫁は「子孫を残す相手」。その結婚にしても、男女の比率が3:1だった江戸では女日照りが常態。嫁を取れるのはよほどのイケメンか、能力のある男だけだったのだそうな。
その嫁達も、日銭稼ぎでツケもきかない裏町長屋での生活は厳しかったので、雨が振ると「ツユ稼ぎ」という仕事に出るのが普通だったという。簡単に言うと売春だ。ペリーに随行したポートマンという書記官は、来日したシュリーマンにこう言ったという。
「江戸の娼婦は10万人」
もっとすごいのは、裏長屋での女性の位置と、その子供。今では想像も出来ないが、女日照りの江戸では、女性は公的存在、もしくは共有物といった側面があったのだそうで、「この前醤油分けてやったろ? ちょっとお前の奥さん貸してくれ」「あいよ」って会話が普通だったのだそうだ。おいおいおい。
これで困るのが、子供が出来たとき。誰の子供か分からんッてんだが、すごい判別法があった。子供が生まれたときに包まれている胞衣に、オヤジの家紋が入っていると信じられてたんだそうだ。でもそんなもの、そう判別できるわけもなく、その場合は「紋散らし」と呼ばれ、身に覚えのある男達が、共同でお金を出し合って育てたのだそうである。そーゆー映画あったなあ。
商家においては、婿を取って家を継がせるのが普通。しかも、なにか問題を起こしたら株仲間(同業者組合)全てが連座して罰を受けるので、当主と娘の一存では婿を決めることも出来ない。三井の大阪別家(暖簾分けを受けた店)を調べると、男子相続した例は51件中、たった12件だったのだそうだ。江戸ではもっと徹底していて、「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」のは常識だったという。
「年季を入れる」として十数年その店で修練し、「おひろめ」を受けて一人前になったあと、親族一門、別家、株仲間の認知を受けた者だけが婿に入れるのだ。近年神田、日本橋、京橋の老舗40軒を調べたら、全て婿養子だったそうで、今だにその風習は生き残っているらしい。
かといって女性が忍従を強いられていたかというと、これが逆で、武家を除けば相当ゆるい社会だったらしい。物見遊山、信心、芝居などを口実にして、陰間(男娼)茶屋に通ったり、男性を囲ったり、女性グループの観光旅行でも性的享楽を大いに満喫していたのだそうだ。
日 本 は じ ま り す ぎ だ ろ 。
京極夏彦の『絡新婦の理』が現在と過去の性風習の違いや、女性原理をテーマにした話でしたが、あんなの可愛いもんですなっ。女つええええ!!!Σ( ̄□ ̄;
そーいう小ネタがゴリゴリ載っている本でした。あー、面白かった。興味ある人は読んでみるといいと思うよ! あと、江戸時代に産まれてたら、確実に結婚できなかったな、と思った。現代でも出来てないけど。
Posted by MAD at 01:56│Comments(0)
│日記。
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