第二回東北侵攻 ~トド作戦~ 初日第一章「鷲は舞い降りた」

MAD

2008年10月07日 23:06





 5月17日(土)。

 その日、青葉城や伊達政宗公の廟所「瑞鳳殿」を周り、タン塩定食に舌鼓を売った後、我々はクリネックススタジアム宮城に向かった。東北楽天ゴールデンイーグルスと、埼玉西武ライオンズとの試合を見るためにである。

 楽天の先発投手はドミンゴ、西武は帆足。帆足の立ち上がりの乱れを突いて楽天が先制の一点をあげるや、試合は息詰まる投手戦になった。


 すげえ。俺はギュッと手を握り、ゴクリとツバを飲んだ。


 試合は一時、突然の雨で中断はしたものの、熱気は冷めること無かった。8回、9回と連続で西武が加点し勝ち越しの体勢に入るが、その裏の回で楽天が取り返す。試合は延長戦へ入った。10回。11回。両雄一歩も譲らぬまま、試合は緊迫と混迷の度合いを深めていく。そして12回裏。草野のタイムリーヒットで、楽天が劇的な勝利を挙げた。

 フー、と俺はため息をついた。ギュッと握った拳をほどく。すげえ。草野のヒーロー・インタビューを聞きながら、俺は思った。すげえ。


 ち ゃ ん と プ ロ 野 球 に な っ て る 。


 いやもー、おいちゃんビックリですわ! 思い起こせば前回見たのは3年前の4月でありました。相手は千葉ロッテマリーンズ。名将ボビー・バレンタインに率いられ、この年オリオンズ時代から数えて31年ぶり、千葉ロッテとしては初の日本一を果たすなど、乗りに乗っていた球団である。一方東北楽天ゴールデンイーグルスはまだ球団創設初年度で、選手は失礼ながら、近鉄バッファローズ消滅時に、引き取り手がなかった選手が大半で、“スター”と呼べるのは岩熊くらいしかいなかった。その戦力不足は顕著で、創設第二戦目にこのロッテに対し、0-26という、日本プロ野球史上「1試合最多失点完封負け」のタイ記録の、記録的大敗を被っていた。

 この日も同じくロッテの猛攻を支えきれず、ただ一人のスター選手岩熊が炎上。2回で7失点。この2回ロッテの猛攻時が、本当につらくてねー。ひょっとして、あの記録的失点を越えるんじゃないだろうか、とあちこちでボソボソ言ってるという、非常に重苦しい雰囲気。おかげでストライクが一球入るたびに拍手が起こり、三振ともなれば、大喝采である。どこの少年野球だ。

 しかもできたばかりとあって、応援が全然できあがってなくてねー! 1塁側と応援団の陣取る外野席で、鳴ってる応援歌が違うとゆー。しかも両方とも慣れてないから、「え? あれ? そっち鳴らすの? え? え?」みたいな感じで、いつの間にか両者演奏ストップ。一方で「Lotte is my Life」という横断幕を掲げ、一糸乱れぬ応援で盛り上げるロッテ応援団。一方で、7回の“ラッキーセブン”すらうまく応援を合わせられない楽天応援団。コレに対する楽天アナウンサーがすごかった。


「皆さん! 素晴らしい応援を見せて下さった千葉ロッテ応援団の皆さんに、盛大な拍手を!!」


 そして、巻き起こる拍手! 「え? なに? どゆこと!?」と一瞬固まるロッテ応援団!! 隣で一緒に見ていた先輩のNさんがアゴをスッカーン!と地面まで落とした。


「ちょ!? よその応援に拍手て、そんなん見たことも聞いたこともねえぞ!?」


 その後、ロッテ応援団がお礼返ししたんですけど、それが「お、応援したから返しただけだからね! 本当は、感謝なんかしてないんだからね!」みたいなツンデレ風味で、たいそう萌えました。

 結局、その試合は4-12で楽天の完敗だったんですが、その帰路、行きかう人々が語る言葉に、先輩のNさんが再びアゴをスッカーン!と地面まで落としておりました。


「負けたけど、3回以降は勝ってたよねえ」


「ちょ!? ありえへんて! 負けたチームにそれって!? どこまで好意的やねん仙台の人たち!?」

 ことほど左様に(色んな意味で)規格外だった東北楽天ゴールデンイーグルスさんなのですが、知将野村監督の手腕によるものか、それともさすがに4年目ともなると慣れたのか、応援もちゃんと揃い、試合も危なげなく、一球ごとに拍手も起こりませんでした。うん、なんだろう。ホッとしたけど、なんか寂しいこの気持ちは。

 あと、Mr.カラスコ見れなかったのは残念だったなあ。唇噛み切るかと思った。(そこまで!?)


 そんな甘酸っぱい気持ちを抱きつつ、我々は次の目的地、「ガンダム・バー」を目指したのであった。

(続く)

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