そして、その後、淡い痛みとともに、僕は幾度も思い出すのだ。
あの、帰らない夏の日を。
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「お帰りは16時のご予定で承っております。では、良い旅を!」
「行ってきまーす!」
AM10時。レンタカー屋の挨拶をバックに、俺たちは走り出した。借りだした車はトヨタのカローラ。日本最強の大衆車は、その異名に違わぬ癖のない乗り心地で、するすると俺たちを抜けるような青空の下へと運んでいった。
「いやー、いい天気で良かったね!」
「まったくやねえ。今年、ずっと雨やったもんね」
「こんな時期やし、本当はオープンカー借りたかってんけどね。一時期駅レンタカーでコペン貸してたりしたから探してみたんだけど、これがねえ、無いのよ! ロードスターは、近所のマツダレンタカーで取り扱い無かったし」
「まあ、その方が気兼ねなく楽しめるって事もあるわけで」
「なるほど」
信号で停まった隙を突いて、俺はマリオのイラストの付いたiPodを手に取った。くりりとホイールを回し、隣に座る友人M へ声を掛ける。
「旧曲新曲アニソン取り混ぜの“BGMスペシャル”と新曲ばっかのやつ、あとアニソンスペシャルにボカロソング集なんかあるけど、どれにする?」
「んー、新曲スペシャル」
「あいよ」
俺は「新曲」と書かれたプレイリストの一曲を選ぶと、マリオの鼻の部分――真ん中のボタンを押し込んだ。ついでシャッフル機能をON。ドリンクホルダーに放り込まれたiPodがカラカラと鳴ると同時に、青になった信号を見てアクセルを踏んだ。
♪SHA LA LA いつかきっと 僕は手にするんだ
♪はかなき 胸に そっと ひかり 燃えていけ
「お、いきものががりか。これ、めっちゃアニソンくさいよなあ」
「NARUTOかなんかに使われてなかったっけ?」
「そなの? どっちかってーと、エロゲ原作の深夜アニメに似合う気が済んだけど。サビんとこで、風に乗ってカメラがヒロイン達を次々UPにしていって、最後空にパンするの! うひょー、めっちゃありそう!」
「 末 期 だ な 。で、どこ行くのさ」
「いや、夜予約してる池田屋は、8時からでしょ? 滋賀で2ヶ所行きたい場所があるんで、そこ探検して、残った時間京都で新選組巡りをしようかと。いいサイト見つけたんで、印刷してきたよ! とりゃ!」(ドサドサ)
■新選組の足跡を訪ねて
http://www.e-kyoto.net/sanpo/rekishi/b09/
「いいけど、僕けっこう新選組はもう巡ってんなー。お、Perfumeか」
「残念! 『とらドラ!』のPSP版ゲームのEDかなんかだそうです!」
「“だそうです”ってなんだよ!?」
「だって俺、ゲームどころかアニメも原作もしらねえもん。てめえが前『とらドラ!にハマった』つーてたから仕込んでただけだっつーの! ちなみに、基本はオリコンの7月27日時点の週間BEST50から、演歌以外そろえて作った、対パンピー用カラオケ対策プレイリストね。おかげでジャニ系アニソンラップと、大変混沌としてやがりますうはは」
「相変わらず、そう言うことに費やす労力は惜しまんな」
「お褒めにあずかり恐悦至極! 欠点はパンピーなんかとカラオケに行かないことだけです!」
「意味ねえー!?」
「ただ、最近のPOPSって、あんま耳に残らんのよねえ」
「あー、それは思う」
「年はあると思うけど、声に特徴がなくて、耳にのこらんのよねえ。若者向けPOPSで最近耳に残ったのって、いきものがかりや遊助、flumpoolくらいかなあ。あとは『けいおん!』とかのアニソンばっかり」
「売れてるしねえ」
「あ、ROCK'A'TRENCHも! あれちょっとカラオケで歌いたい!」
「あー、『メイちゃんの執事』ね」
「えええー!? あれもアニソンみたいなもんだったのかー!?」
なんて言う話をしている内に、車は長浜城に着いた。
長浜城! それは豊臣秀吉が、初めて築いた城である!
浅井長政攻めの功で、織田信長から浅井氏の旧領を拝領した羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、当時「今浜」と呼ばれていた場所を、長浜へと呼称を変更。交通の要衝であった同地に、1573年(天正元年)に築城を開始。3~4年の歳月を経て完成させた。
秀吉の城下町経営の基礎を醸成した場所として歴史的意義は深いが、豊臣家の没落をもって廃城となった。その資材は後に、彦根城に流用されたという。現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルに模擬復元されたもので、市立長浜城歴史博物館として運営されている。
(Wikiの同項他より、コピペ整形)
上記のもある通り、現在の天守閣は復元されたもの。それもけっこう古いものとあって、寄る予定はなかったのだが、友人M と言えば、名にし負う城フェチである。簡単に言うと変態である。さらに居合道などやってらっしゃる。そんな体育会系変態の妄言に、雨に濡れた捨て猫のような可憐さで知られる俺があらがえようはずもなく、車は見事長浜城へと着いた。
「お、中の歴史博物館、石田三成の特集やってんだね」
「大阪城から借り出したのやら、写しばっかなのは、やっぱり江戸時代前に廃城になったからかな」
「そのまま残ってたら、お宝もいっぱいあったんだろうけどね。まあ、時間もないし、ちゃっちゃと見て出ますか!」
「うん(プチ)」
「――ってアンタ、なんでナチュラルに歴史紹介ビデオの再生ボタン押してんの!?」
「うん(ドカ)」
「座りやがったぁぁぁ!? 見る気満々かよ!? しかもそれ、13分もあるじゃねえか!?」
「ンだと!? 小堀遠州の生涯だぞ!? 普通見るだろ!?」
「逆ギレされた-!?」
色々あって、長浜城を出立できたのは、1時間後のことであった。予定では30分ほどでちゃっちゃと見て回るはずだったのに……。ただ、奴が次のビデオに手を出さなかったのは、僥倖と言えたであろう。いや、ヤバかった。
さて。次にたどり着いたのが今回の目的地、「西野水道」である。
西野水道は滋賀県伊香郡高月町西野にある余呉川の放水路である。度重なる余呉川の氾濫と、それによる飢饉を憂えた高僧西野恵荘の提唱により、天保11年(1840)7月29日に掘削は開始された。だが、その工事は困難を極めた。その最大のものは、やはり岩盤の堅さである。掘削は琵琶湖側から始められたとのことだが、20mほど掘り進んだところで、岩のあまりの堅さに断念し、掘る場所を変えて、一からやり直したそうな。
そのやり直した穴も、やがて同じ固い岩盤に到達。これはムリと、最初に能登(石川県)から呼び寄せた石工は音を上げ、帰ってしまったのだそうな。また、掘り出した岩を運び出す賦役や、石工達を雇う金も膨大な額に達した。
し か し 、 村 人 達 は あ き ら め な か っ た 。
田畑を売り払い、斜面の木をことごとく切り倒して金に換え、その金で伊勢から新たな石工を呼び寄せた。「お前を信じる俺を信じろ! お前のドリルは天をつらぬくドリルだ!」と言ったかどーかは知らないが、この第二期工事をもって、西野水道は、ついに開通する。
全長220m。工事日数5年2ヶ月。総経費1275両。
現代の価値に換算すれば、数億円になると言う経費は全て、村人達の持ち出しであった。この古今未曾有の大工事完成の報は近隣の村々を駆け巡り、押し寄せた見物客で死傷者が出るほどの賑わいを見せたという。
その後、昭和に入って2本の放水路が築かれたが、この初代の放水路はこの水路は滋賀県指定文化財として、石碑を造立した記念公園の中に保全されている。見学は自由で、そのためのヘルメット、懐中電灯、長靴も用意されている。ただ懐中電灯はそれほど大きくない普通のものなので、できれば高照度LEDタイプのものか、大きめのものを準備していくことをお勧めしたい。
(Wikiの同項他をコピペ整形)
「しかし、すごいねえ」
「まったくですなあ」
茂った草の向こうに、ぽっかりと口を開ける西野水道。借り出したヘルメットと長靴を装備した我々は、敢然と中へと足を踏み入れた。
「うおお!? さぶッ!」
「めっちゃ冷えるなあ! ほんで、暗い!」
「道もめちゃめちゃ曲がっとるしなあ。岩見てみ! めちゃめちゃ固いで!」
「ノミの跡、ガッツリ残ってるねえ。こんなもん、ドリル使っても難工事やぞ」
「うおお!? 足下に水たまりがあああ!?」
いやあ、すごかった! 壁面に残る鑿跡に、微調整を繰り返したのであろう、折れ曲がった坑道。出口間際は高さも低くなり、中腰で歩かねばならないほどだった。中を歩くだけでも、これは難工事だったろうと痛感させられる。
先人の偉大さを感じつつ、我々は西野水道を跡にしたのであった。続く!