ブリード加賀。その2台目。

MAD

2007年10月08日 02:21



 8時15分。白い車に乗って、王子様ならぬ破壊の使者はやってきた。

「ちわーっス」
「ちわちわーっス」

 爽やかな挨拶を交わし、俺は車へと近づいた。「眠いから」と言って友人Mが後部座席へと移り、俺は助手席へと腰を下ろした。

「ほな、行きますか!」
「へい」

 M先輩が高らかに出発を告げる。その後ろで友人Mが、その背後で「うしゃしゃしゃしゃ!!!」と奇怪な笑い声を上げていた。なんでこいつら、朝からこんなテンション高いんだ。俺は嘆息をついた。


 負 け ら れ ね え 。


「行くぞおるぁー!!」
「おおう!!」
「そういやこの前アメトーークでやってたガンダム特集とジョジョ特集めちゃめちゃ面白かったですよぜひ見ろ!」
「なにぃー!? なぜiPodに入れて持って来ねえ!? そうやってネタ動画を見せ合うのが動画iPodの存在意義だろうが!?」
「そんな意義はねえー!? つか、そーいやtouch iPod買いましたよ。Appleの通販で。届くの中旬やけど、そしたら入れてきて見せてやんよミクミクにしてやんよオルァー!!」
「楽しみにしてるぜドララー!!」


 なお。

 そうやってテンション上げすぎで電池切れになり、助手席に座ってるにもかかわらず、俺が爆睡したのはその1時間後であったという。(チーン☆)


 そして。


 まぶたを開けると、そこは加賀の国だった。(おいおい)

 到着したのは12時前。予約は13時ということで、我々はまず、腹ごしらえをしに「近江町市場」へと向かった!




「近江町市場」。

 ここは金沢の台所として知られる大きな市場である。市場と言っても、港直結・素人お断りの場所ではない。鮮魚を中心とした大きな店が100m超に渡って軒を連ねる、街中のアーケード街だと思って頂けたら間違いない。京都の錦市場が、最も近い。違うのは、店がほぼ、鮮魚店ばかりだと言うことだ。

 観光名所としても知られ、その活気は並大抵ではない。特に本日は3連休の初日と会って、人で溢れまくっていた。店の前を埋め尽くすように並べられた魚は色とりどり。見たこともない魚も多いため、じっくり見て回りたかったが、あまりの人出にまっすぐ歩けないほどだった。しかも。


「寿司屋も海鮮丼屋も混み混みだー!!」
「12時だからねえ」
「ええい、今は観光のみにして後で来よう後で!」
「ラジャー!!」

 なお、その後17時に再び訪れたら、店がいっせいに占めるところで大変ビックリした。早めに行くことをオススメする。ここで食ったウニいくら丼旨かったけど、色々入った海鮮丼も食いたかったなー。

「旨かったよ!」
「知っとるわー!!!!!!!!!!!!!1」



 ついで、我々が向かったのが今回のメイン。“忍者寺”の異名で知られる日蓮宗の寺院、正久山妙立寺(みょうりゅうじ)である!! ちなみに、近江町市場で時間潰しすぎたのと俺の地図チェックミスで予約時間に間に合わず、M先輩に怒られたのは君と僕だけの秘密だ! 違うんだ! あれは俺のせいじゃなく、忍者が罠をー!?

「妙立寺、忍者と関係ねえよ」
「おにょにょのぷう」

 そう。異名こそ“忍者寺”であるが、妙立寺は忍者となんの関係もない。それがなぜそのような異名を持つに到ったかというと、それには理由がある。



 この寺が移築・創建されたのは、三代前田利常公の時代。江戸幕府がようやく基礎を固めきった頃である。幕府はその反映を盤石なものとすべく、諸大名の力を削ぐことに意を尽くしていた。

 前田家は藩祖前田利家が豊臣家恩顧の武将であった事や、徳川政権下での最大の外様大名であった為、常に幕府に警戒されていた。豊臣恩顧の外様大名が将軍家から様々な因縁を付けられて取り潰される中、将軍家から過度の警戒をされない様に、利常公は細心の注意を払ったという。「故意に鼻毛を伸ばして愚君を装った」というものや「病で江戸城出仕をしばらく休んだ後、酒井忠勝に『気ままなことで』と皮肉を言われ、『いやいや、疝気でここが痛くてかなわぬ故』と満座の殿中で陰嚢を晒して弁解した」というエピソードも伝えられている程である。(Wikiの前田利常の項より転載)

 そうやって愚君を装う一方で、万一戦となった時のための備えも怠らなかった。その一つが兵舎がわりとなる寺院群を移築もしくは建立するというものであり、その中心に監視所として建てられたのがこの妙立寺なのだという。

 これがね、凄いんですわ。いざという時、藩主自らが出城として指揮すべく建てられたせいか、もう造りが半端やない。外から見ると何の変哲もない2階建ての寺なのに、中へ入ると7層4階建て。迷路としか言いようのない複雑な構造の中に、23の部屋と29の階段が仕組まれている。またいざ攻められた時に、城まで続いているという伝説のある井戸の抜け穴に藩主を逃がす時間を稼ぐためか、隠し部屋や階段、ドンデン返しなど全部で29ヶ所もの仕掛けが配されている。

 伊賀・甲賀の忍者屋敷も行ったけど、これはもう次元が違う。さすが加賀百万石の殿様を護るための仕掛け。感服しました。

 なお“忍者寺”とはこの忍者屋敷のような複雑な構造を指して名づけられたあだ名だそうです。言い得て妙とはこのことだ。超面白いから、ぜひ行けそれ行けどんと行け。

 その次に向かったは、金沢21世紀美術館。日本の美術館経営に旋風を巻き起こし、“美術館界の旭山動物園”とも呼ばれる美術館である。のだが。


 うーん・・・。残念ながら、期待していたほどではなかった。

 正直もっと、“分かりやすい”美術館だと思っていたのだ。あの有名な「レアンドロのプール」のような作品がたくさんある、「来て見て触って体感して、そして五感で感じさせる」ような、そういう美術館かと。

 インテリアが好きで、東京デザイナースウィークとかに通っていた俺だが、ああいうところで飾られる“実用性がかいま見え、分かりやすい”インスタレーションと、昔ながらの美術館の持つ“深いけど難解”な展示物の、間をつないで知的興奮を味あわせてくれるような、そんな美術館だと勝手に思っていたのだが・・・。



 もちろん、展示物は素人目にも素晴らしいものだと思わされるものだったし、いろいろと興味も惹かれた。俺が期待していたものと違って勝手にガックリしているだけなんだけど、本当に楽しみにしてたんで、ちょっとヘコんでおります。やっぱ直島だな! あそこならきっとー!!

 この辺で時間も押し迫ってきたので、千里浜なぎさドライブウェイはあきらめ、我々は帰途に就いた。途中粟津温泉総湯でひとっ風呂浴び、帰宅23時。大変楽しい旅行であった。

 次回はぜひ泊まりがけで行きたいなあ。ここらは、山海の珍味盛りだくさんな上、名にし負う超メジャー温泉街がごーろごろ。北陸はいまだ制覇していない場所だし、福井北方と合わせて2泊3日くらいでまわりたい。

 その時の注意点なんだが、美術館は一時コースから外すとする! いや、実はその。金沢21世紀美術館を出てから5時間くらい、頭痛に苦しみまくりまして・・・。風邪引いたわけでもないし、仮眠をとったら治ったしで、きっとあれに違いないと思うんです。


 知 恵 熱 。


 現代美術見て頭使ったから、普段使ってねえ頭が煙吹いたんだきっと! とゆーわけで、次回の美術館巡りは、しばらくお休みー! うまいもん食って温泉入って城とか見まくって遊ぶぞコンチクショー!

 花より団子じゃボケー!!

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