昨日帰って飯食って、中川翔子さんの「涙の種、笑顔の花」をリピートしながら、延々と栗本薫さんについて書かれてた、いろんな人のmixiやgreeの日記を読んでた。
最初に栗本さんの本を読んだのは、中学校の時だった。当時購読していたファンロードという雑誌の、たぶん大特集の大辞典の一項であったのだと思うが、「ぜひ栗本薫に、これで“アブナい”小説を書いてほしいものである」という一文を見たのである。
アブナい小説? アブナいってなんだ? なにが危ないんだ? そうか。俺は思った。
こ れ は エ ロ い こ と に 違 い な い 。
さすがは無知と勢いとリビドーだけで生きていたお年頃。異次元の思考によってそんな結論を導き出した俺は、勇躍調査を開始した! なお、それはある意味間違ってはいないのだが、俺の期待している方向とは真逆のエロさだということに、俺が気づくのは、それから何年も後になってのことである。
調査はすぐに完了した。兄貴の書棚に、その作者の本が並んでいたのだ。平井和正のウルフガイ・シリーズ、菊地秀行のエイリアン&“D”シリーズ、荒俣宏の帝都物語などが詰め込まれた書架の中から氏の作品を数冊手に取ると、俺は胸と人には言えない秘密の部分をふくらませながら、部屋へと閉じこもった。
その本のタイトルを『魔境遊撃隊』といった。
残念ながら、そこには俺の期待していた展開はなかった。正直に言うと、どんな内容だったか、全く覚えていない。たぶん、魔境を遊撃する隊の話だったんじゃないかなー?と、俺の勘は告げている。
あるぇー? 全然エロくないよ?(・3・)
肩すかしを食った気分で、俺は次の本に手を伸ばした。その本のタイトルは『メディア9』といった。そこにも、俺の求めていたものはなかった。
けれど。
そ ん な も の を 遙 か に 超 越 す る 感 動 が 待 っ て い た 。
長い任務を終えて、フォーマルハウトより地球へと戻ってきた、恒星間宇宙船メディア9。メディア9の宙航士ロイの妻、シーラ、そして十七歳になる息子のリンも、どれだけこの日を待ちわびたことだろう。
ところが、メディア9は、基地上空に静止したまま、「我々は着陸できない」と伝達し、あらゆる交信を途絶した。市民たちは船内の病原体による汚染を噂し、やがて強制爆破を企む。宙航士ロイの息子リンは、当局から追われ、狂気へと立ち向かい、そして真実を求めて闘うこととなったのだ―。
(amazonとセブン&Yの通販ページからコピペ整形)
それは、途方もない衝撃だった。今にして思えばアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終り』に連なる「人類進化もの」をコアとする一遍なのだが、当時SFといえばガンダム止まり。そんな俺が、ほとんど初めて触れた「SF」だったのだ。その衝撃たるや!
そして、それ以上に、この作品は優れたジュヴナイルだった。「着陸できない」と言うメディア9と父の真意を追い求める中で、浮かび上がる葛藤と相克。敵対する社会。そして、怒濤の冒険をともに過ごす中で絆を深め、やがて結ばれる少年と少女……。
あまりにも甘く、センチメンタルで、ロマンチックに過ぎる青春小説。作家という生き物が、夢を見ることのできる時代にだけ書くことができ、読者という生き物が、夢を信じることのできる時代にだけ抱きしめることのできる、それは、硝子細工の蜃気楼のような物語だった。
『メディア9』は、中学生だった俺の、心の一番奥底の、純粋な部分を打ち抜いた。今でも『メディア9』のストーリーを思い浮かべると、リンとヴァイの心が通じたあの場面を思い出し、切ないようなうれしいような、ほのくるしい思いが胸に差し込む。それはかつて確かに自分の中にあり、今は砕けて眠る蜃気楼の欠片だ。
それから、いろいろな本に手を出した。『ぼくらの』シリーズ。伊集院大介シリーズ。もちろん『魔界水滸伝』シリーズも読んでいた。ちなみに、これが初めて読んだクトゥルーものであったため、いまだに俺の中では「クトゥルー」ものは、「ホラー」というよりは「怪獣大戦争」的イメージが強い。
だがやはり、氏の作品のなかでもっとも俺が愛したのは、グイン・サーガだった。
はじめて読んだのは高校1年の時。当時俺がはまっていた遊びにTRPGというものがある。その遊びをするうえで、「ぜひ読んでおくべき」とされた小説の中で、コナン・ザ・グレートやファファード&グレイマウザー、指輪物語といった海外作品と並んで紹介されていたのが、『グイン・サーガ』だった。
豹頭の超戦士が、卓絶した剣技と機略を持って、亡国の王女と王子を救う物語。
まだ、30巻も出ていない頃だったと思う。高校の図書室に置かれていたグインを、毎日1冊ずつ借りて帰り、風呂の中で読破した。最初は「かったりー話だなー」と思っていたのが、ノスフェラス篇を終え、中原へと舞台を移してから格段に面白くなった。以後卒業まで新刊が入るたびに借り受け、読み継いでいったが、卒業してから疎遠になった。続きが読みたいなあ、と思ってはいたが、どこまで読んだか分からなくなったのである。
それを、再び読み始めたのは2005年のことだった。ある日本屋に行ってみると、なんとグインの99巻が出てるではないか! いかん!と俺は思った。確かグインは100巻で完結だったはず! どうせ読むならリアルタイムで読んで、完結をともに祝いたい!
あわてて立ち読みでどこまで読んだか確認すると、俺は76~99巻までを一気に大人買いした。
幸か不幸かグインは100巻では完結せず、俺の苦労は徒労となった訳なのだが、そのときの一気読みが与えてくれた感動は、そんな些細なことを補ってあまりあるものだった。
当時の日記を振り返ってみる。
「最近はとにかく、休みとなれば延々グイン読んでる。前日からダラダラ読んで、起きたらまた読んで。mixiの日記書いたり株のチェックしてる時以外はほぼ、グイン読んでるんじゃないかな。TVもあんまり見ない方だし。はっきり言って、それでもスゴイ満足な日々だ。
面白い。それもスゴイとかとてつもなくとか、そういうレベルじゃなくて。なんというか、そうだなあ。「途方もなく」ってのが近いかな。
80巻あたりで栗本さんが「やっとプロローグが終わった気がする」って書いてたけど、まさしくその通り。全ての伏線、登場人物を飲み込んで、物語が怒濤のように突き進んでいる。熱に浮かされたようにすげえすげえと、この先どうなんのと作者自身が書きながら叫んでるらしいが、こっちはそれ以上だ。84巻「劫火」なぞ、読み終わった瞬間絶叫したっちゅーねん。夜中の4時にもかかわらず、85巻に手ぇ出したっちゅーねん。
グインの本編自体はようやく100巻だが、外伝を入れるとさらに15冊を加える。それだけの巻数がしかも、全てグインに割かれているわけではない。むしろ、半分以上が「それ以外」の登場人物の描写に当てられているのだ。一巻どころか数冊に渡って主役を張っているイシュトヴァーンやナリス、レムス、ヴァレリウスといった準主役級はもちろん、それ以外の端役にいたっても、これほどの巻数ともなれば、積み重ねられたその描写は、まとめれば一冊の小説の主役級に匹敵する。
ましてやそれは、「2回ユラニア遠征をした」だの「イシュトヴァーンの奇襲」だの、20年以上も前に書いた文章を忘れずきっちり実現してみせる、偏執狂的記憶力と脅威の構成力を誇る「栗本薫」という希代のストーリーテラーによって重ねられた描写である。そうやって肉付けされた登場人物達が、満を持して動き出したのだ。面白くないはずがない。まさしく「大河」の醍醐味これにあり!ですな。」
本当に、あれは、30数年、数千冊以上に及ぶ俺の読書人生の中でも、他に代え難い、とてつもなく幸福な時間だった。あの長い長いグイン達の旅路を共に歩み、見守ってきたものにだけ与えられる、至福のご褒美だった。
95巻で話がいったん収束して以降は、「あれれ? なんかいきなりスケールダウンしてつまんなくなったなあ」と思ったときもあったが、その後「旅芸人一座」として抱腹絶倒のお笑い巨編に突入してみたり、手に汗握るガンダルとの対決があったりと、新たな魅力を見せてくれて、愚かなファンを反省させてくれた。
そして、近刊では。
グインは再びケイロニアの玉座へと戻り、心を病んでいたイシュトヴァーンは、踏み外していた覇道を再び歩み始めた。未亡人となって以来、心を閉ざしていたリンダも、再びグインと出会って華やぎを取り戻しつつある。
そして、そんな彼らを中心に、世界は大きく動き出そうとしている……。
グインは、100巻で終わらなかった。癌に犯されながらも精力的に書き続けた栗本さんは、後書きで言っておられた。最終巻だと言っていた『豹頭王の花嫁』にたどりついても、それは第一部の終了にしか過ぎないのではないか、と最近思うようになった。今、頭の中で、イシュト達の子供達の物語を考えている。この後も200巻、300巻と行くぞ。残された時間、許された時間、ただグインを書き続けたい、と。
うえに転載した昔の日記の最後に、俺はこう書いていた。
「100巻が出るまでに追いつけはしなかったけど、完結のお祭りにだけは参加したいです。踊る阿呆に見る阿呆~♪ ああ、踊りてえッ!!」
その夢はもう、永久に叶わないようだ。
昨日読んだ日記で、こう叫んでいる人がたくさんいた。
「グインは、グインはどうなるんだ!」「どうしてくれるんだ!」
作品の続きが読めなくなったことよりも、作者の死を悼めよ! そう、理性が叫ぶ横で、同じ思いを禁じ得ない俺がいた。ここまでついてきたのに、そりゃねえよ! 先生、ラストまで書いてから死んでくれよ! 無責任だよ!と。
そんな思いを押さえられないくらいに、グインは、栗本薫の作品は魅力的だった。そんな作品に出会え、同じ時代をともに過ごせたことを、心から幸せに思う。
本当にありがとうございました、栗本薫先生。あなたの作品にあえて、俺は幸せでした。
おやすみなさい。