天路歴程。(上)
2008年08月08日
ようやく地獄の5勤終了ー!!
久々のお休みでございます。こっからまた地獄ロード始まるんだよなあ。社畜の道は獣道。死して屍拾うモノなし。でも頑張るよー!(≧▽≦)
この前後輩の三次会行く途中、寺社に2つほど寄ったんですよ! いっこは熱田神宮。言わずと知れた“三種の神器”の一つ「天叢雲剣」こと「草薙剣」をお祭りする別格神社のお一つです。ゴイス。

予定ではここで
「うう、身体が熱い! なんだこれは・・・・・・共鳴!? なにかが俺を呼んでいる!?」
とか、手のひらに謎の紋章が浮き出たりとか、謎の仮面の男が現れたり、謎の敵に襲われたり、空から女の子が降ってきたり、異世界への扉が開かれたりするはずだったんですが、なぜか起こりませんでした。なぜだ!? まだ“その時”ではないというのか!?←そんな時は永久にやってきません
ちょっと珍しかったのが、ご祈祷に「神楽舞」というのがあったこと。2万円(だっけな?)とややお値段ははるものの、興味津々の今日この頃である。目の前で神楽舞いをやってお祓いしてくれるのかな? うお、やってみてー!! 妙齢の巫女さんが舞ってくれるとゆーなら、その程度喜んで出すぜ!(目的が違ってます)
ちなみに、ご神体が草薙剣がゆえか、ここの宝物殿には名刀がいっぱいあることで有名である。時間が無くて寄れなかったのが残念だったが、入り口に置いてあった2m以上あろうという長刀が見れただけでも価値があった。

勇猛で知られた朝倉家の家臣、真柄直隆が使ったという伝説が残っている大刀らしいが、長刀とかいうレベルじゃねーぞ! お前はベルセルクのガッツか。「それは刀というにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊だった。」てか?
ちなみにその真柄直隆、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による五尺三寸(約175センチ)もの太刀「太郎太刀」を振るい、近隣諸国に名を轟かせた朝倉随一の猛将だったそうです。
1570年の姉川の戦いにおいては、老体を押して従軍。本多平八郎忠勝と一騎討ちを演じ、苦戦させたのだそうな。徳川四天王の一人にして、合戦において生涯ただ一つのかすり傷も負わなかったという徳川家きっての猛将、“家康に過ぎたるもの”とまで言われたあの本多忠勝とですよ? すげーな。三国志で言えば黄忠あたりのイメージか?
しかしその奮闘もむなしく、味方は敗走を開始。直隆は味方を逃がすべく、同じく豪勇を振るった弟直澄(「太郎太刀」を使ったのは直隆ではなく直澄だったという説や、直隆と同一人物説もある、これまた猛将)、「次郎太刀(千代鶴次郎)」と呼ばれる四尺三寸の大刀を振るった子隆基ともに殿を買って出た。
自慢の大太刀、太郎太刀を水車のように振り回し、阿修羅のごとく暴れ回る直隆の武勇を恐れ、さしもの三河武士も攻めあぐむ。これではいかんと立ち向かったのが向坂三兄弟。3人がかりの攻撃にさしもの猛将も力尽き、戦場の露と消えたそうな。その後、彼を討ち果たした太刀は「真柄切り」と名付けられたそうです。竜を倒した剣が「ドラゴン・スレイヤー」って呼ばれるのと同じですよ。いかに真柄の武勇が世に鳴り響き、畏敬の念を持って扱われていたかの証左と言えましょう。
そんな猛将真柄直隆。彼が使ったと伝えられる「太郎太刀」こそが、宝物館前に飾られたこの大太刀なのだそうです。
ど う 見 て も 2 m 以 上 あ る け ど 。
そーいやスペインの軍事博物館でも、同じくらいの長剣見たなあ。昔の人は力持ちだと思った。
で、もう一つ寄ったのが、三大稲荷の一つとして知られる(異説有り)豊川稲荷神社であった。
(続く)
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